遣唐使のメンバーと役割、選出方法

遣唐使としてよく知られているのは、阿倍仲麻呂や吉備真備などをはじめとする留学生ですよね。
でも、遣唐使とは留学生だけでなく、遣唐使船に乗っていた人達を指すことをご存じでしょうか。

遣唐使船にはどのような人が乗っていて、どのような方法で選ばれたのでしょうか。

遣唐使のメンバーと役割、選出方法を紹介します。

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遣唐使のメンバーと役割

遣唐使のメンバーと役割を、手当の高い順にみていきましょう。

使節

おゆう
おゆう

突然ですが、修学旅行を思い出してください。
観光地や宿泊施設に着くと、生徒が施設に入る前に、先生が施設の代表者に挨拶していませんでしたか?

使節は留学生の引率係。
使節には、大使、副使の他、史生と呼ばれる書記官、雑使と呼ばれる庶務係などがいました。

留学生

留学生は長期留学者、短期留学者に分けられます。

長期留学者には、留学生と学問僧(仏教を学ぶ僧)が、短期留学者には還学僧と請益生がいました。

おゆう
おゆう

還学僧と請益生とは、仏教を研究し、知識を更に深める僧を指します。

長期留学者には、日本から支給される手当とは別に、唐から生活費が支給されました。
また、長期留学者には、身の回りのお世話をする人を連れて行くことが許され、そのお世話係には、使節の史生と同じ程度の手当てが支給されました。

一方、短期留学者の還学僧の手当は、長期留学者の手当の半分程度でした。
また、同じ短期留学者の請益生の手当は還学僧の半分程度でした。

すけさん
すけさん

長期留学生は優遇されたんですね。

通訳

外交に欠かせない通訳。
唐に到着してから必要となる中国語はもちろん、新羅語、奄美語などの通訳者が同行しました。

遣唐使船のルートは時代によって異なりますが、大阪府の住吉津を出発し、福岡県の那の津、朝鮮半島の新羅を経由して、唐に渡る北路が用いられていました。
そのため、経由地である新羅でコミュニケーションを取れるように、新羅語の通訳者が同行したんです。

また、航海技術の発展していなかった当時は、遭難することも多く、奄美群島に漂流した場合に備えて、奄美語の通訳者が同行しました。

船員

遣唐使船が唐に無事到着できるかどうかは、船員の技術にかかっていたと言っても過言ではありません。
船内をまとめる船長や舵取りの他、朝貢品の管理者などがいました。

その他

紹介した使節や留学生、通訳、船員の他にも、さまざまなメンバーが遣唐使船に乗っていました。

例えば、船が唐に無事到着するように祈る神主や卜部、遣唐使の体調を管理する医師の他、気象観測を行う陰陽師、記録を残す画師、船が襲われた場合に対応する射手などです。

遣唐使の選出方法

現在でいう海外留学生や海外出張者に当たる遣唐使。
でも、希望すれば誰でも、遣唐使になることができたわけではありません。

遣唐使は外交使節で、日本の代表者として、唐に渡ります。
礼儀や教養のない日本人が唐に渡ると、唐から「日本人ってアホやな」と思われてしまうので、家柄、教養を重視した選抜試験が行われました。

また、家柄、教養と同じぐらい重視されていたのが風貌です。
つまり、イケメンが選ばれたんですね。

遣唐使は全部で20回派遣されましたが、この中で最もイケメンだったのは阿倍仲麻呂だったそうです。

おゆう
おゆう

唐の第3代皇帝の妻・則天武后は粟田真人を気に入り、宴会に特別に招待したのだとか。
則天武后は美少年好きなので、粟田真人もイケメンだったに違いないと思います。

でも、外交使節に必要なのは、礼儀、教養、風貌の3つだけではありませんよね。
外交手腕がなければ、唐と渡り合えません。
外交手腕は必要不可欠な才能として兼ね備えていることが大前提で、あえて問われる才能ではありませんでした。

紹介したように、通訳も遣唐使として唐に渡ります。

そのため、当時の外交手腕では、中国語を話せることより、唐の文化をいかに熟知しているかが求められていました。

では、インターネットのない時代に、唐の文化をどのようにして知り得たのでしょうか。

実は、遣隋使や第一次遣唐使が、第二次以降の遣唐使に唐の文化を伝えていたんです。

例えば、犬上御田鍬は第5回遣隋使として、614年に、隋に派遣されました。
それから16年が経った630年、今度は第1回遣唐使として、唐に派遣されました。

王朝が隋から唐に変わっても、中国に渡った経験があれば、中国の文化や事情を把握していますよね。
こうして、先に中国に渡った遣隋使や遣唐使が、これから唐に渡る遣唐使に、唐の礼儀作法や文化を指導し、外交手腕を身に着けることができたんです。

そのため、第3回以前の遣唐使と第4回以降の遣唐使では、選抜試験の内容が少し異なります。
➤ 第3回以前の遣唐使の選抜試験では外交手腕が最も重視され、犬上、吉士、高向など、中小氏族や渡来系氏族(中国や朝鮮半島から日本に移り住んだ人達)が派遣されました。
➤ 第4回以降の遣唐使の選抜試験では礼儀、教養、風貌が重視され、粟田、大伴、多治比、中臣、藤原など、大氏族が派遣されました。

まとめ

遣唐使のメンバーと役割、選出方法を紹介しました。

私達が教科書で学ぶ遣唐使は、留学生の名前がメイン。
確かに留学生がいなければ、唐の文化や律令制度が日本に持ち込まれることはなかったかもしれません。
でも、飛行機や蒸気船のない当時、留学生だけで日本から唐に渡るのは不可能です。
日本から唐に向かう海上、唐の港から長安に向かう道中、そして、長安に到着した後の生活を支えた人達がいます。

研究が進み、留学生以外の遣唐使にもスポットライトが当たるようになるといいですね。

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