松平信康の初陣の舞台は足助城!武田氏に勝利した後はどうなった?

一言坂の戦い、二俣城の戦い、三方ヶ原の戦い、野田城の戦いで連敗していた徳川家康。
にも関わらず、徳川家康の長男・松平信康の初陣は武田氏の支配する足助城攻めでした。

松平信康初陣を飾った足助城攻めと足助城のその後を紹介します。

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松平信康の初陣の舞台は足助城!

元亀元年(1570年)、11歳で元服した松平信康。
浜松城に移った徳川家康に代わって、松平信康が岡崎城主を務めることとなりました。

松平信康が初陣を迎えたのは、この4年後の天正2年(1574年)3月。

徳川家康から、足助城(愛知県豊田市足助町)を攻め落とすよう命じられます。

足助城とは

真弓山という山にあったことから、足助城は別名・真弓山城とも呼ばれています。

足助城は三河鈴木氏の支族・足助鈴木氏が拠点とした城です。
最初の城主は鈴木忠親だといわれています。

松平氏に従属する

大永5年(1525年)、徳川家康の祖父・松平清康が足助城を攻撃。

足助城主・鈴木重政は松平氏に従属しました。

今川氏に寝返るも徳川氏に従属する

その後、森山崩れにより、松平清康は家臣に暗殺され、松平氏は急速に衰退しました。
天文23年(1554年)、今川家臣・馬場幸家が足助城を攻撃すると、鈴木氏は松平氏から今川氏に寝返りました。

その後、永禄7年(1564年)に徳川家康が足助城を攻略すると、足助城は徳川氏の支配下に置かれました。

武田氏に奪われる

元亀2年(1571年)に武田信玄が足助城を攻撃。
足助城主・鈴木重直は足助城を抜け出し、岡崎に逃げました。

こうして、足助城は武田氏の支配下に置かれ、下条信氏が城代を務めていました。

松平信康の初陣

紹介したように、一言坂の戦いをはじめ、徳川家康は二俣城の戦い、三方ヶ原の戦い、野田城の戦いで連敗していました。
そのため、多くの徳川領は武田氏に奪われていました。

すると、頭を抱える徳川家康の耳に信じられないニュースが飛び込んできます。

おゆう
おゆう

武田信玄が病死し、武田勝頼が武田氏第17代当主になったというんです。

武田氏が混乱している今こそ、武田氏から領地を奪い返すチャンス。

徳川家康は長男・松平信康に足助城を攻め落とすよう命じました。

松平信康の甲冑始が行われる

出陣にあたって、松平信康の甲冑始(かっちゅうはじめ)が行われました。

甲冑始とは、男子が鎧や兜を初めて身につける儀式です。

元服に烏帽子親がいるように、甲冑始には具足親がいます。

具足親を務めたのは、松平重吉。
実は、松平重吉は徳川家康の初陣に同行した宿老でした。

当時55歳だった松平重吉は、松平信康の甲冑始が行われた時には77歳を迎えていました。

松平信康!いざ、足助城へ!

岡崎城を出発した松平信康。
松平信康の率いる兵はわずか3000人でしたが、足助城をすぐに攻略することができました。

武田信玄が病死し、士気の低かった武田勢。
松平信康の姿を見るなり、武田勢は降伏して開城したんです。

こうして、松平信康は初陣を飾ることができました。

松平信康が武田氏に勝利した後、足助城はどうなった?

松平信康の勝利により、再び徳川氏の支配下に置かれることとなった足助城。

その後、足助城はどうなったのでしょうか。

鈴木氏が城主に返り咲く

足助城の城主には、鈴木信重が抜擢されました。

鈴木信重は旧城主・鈴木重直の長男です。

紹介したように、鈴木重直は足助城を守り通すことができませんでした。
でも、徳川家康は鈴木重直を責めることなく、鈴木信重に足助城を与えました。

徳川家康の懐の広さがうかがえますね。

再び武田氏の支配下に置かれる

ところが、天正3年(1575年)3月、武田勝頼が三河侵攻を再開。
父・武田信玄の三回忌を終えた武田勝頼は足助城に進軍します。

足助城はあっという間に包囲され、城主・鈴木信重は降伏しました。

再び鈴木氏が城主に返り咲く

天正3年(1575年)の長篠の戦いで、織田信長と協力して武田勝頼を破った徳川家康。
徳川家康は早速足助城に向かいます。

長篠の戦いで敗北した武田勢の士気は低く、徳川軍を見るなり開城。

徳川家康は足助城を奪還しました。

徳川家康の関東移封に伴い廃城となる

天正18年(1590年)、主君・豊臣秀吉の命令により、徳川家康は関東に移ります。
足助城主・鈴木康重は、徳川家康と一緒に関東に移りました。

城主不在の足助城は廃城となりました。

現在の姿は城跡公園

現在は城跡公園足助城として整備されています。

① 復元された高櫓、物見櫓、厨
② 本丸や西の丸などの遺構
などから、当時の足助城をイメージしやすいです。

実は、戦国時代の山城が復元されたのは足助城が初めて。

全国で初めて復元された山城として注目されています。

まとめ:足助城は鈴木氏が5代にわたって守った城!

松平信康初陣を飾った足助城攻めと足助城のその後を紹介しました。

武田氏の三河侵攻により、足助城は武田氏の支配下に置かれましたが、その度に、松平信康、徳川家康が奪還。
足助鈴木氏の鈴木忠親、鈴木重政、鈴木重直、鈴木信重、鈴木康重の5代が足助城主を務めあげました。

おゆう
おゆう

足助城は山城ですが、車ですぐ近くまで行くことができます。
機会があれば、是非足を運んでみてくださいね。

大河ドラマ「どうする家康」をもっと楽しむなら、こちらのガイドブックがオススメです。

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