五大老と五奉行が誕生した理由は?メンバーと違いは?どっちが上?

関ヶ原の戦いを引き起こした徳川家康と石田三成。
徳川家康は五大老のトップ、石田三成は五奉行のトップでした。

五大老五奉行が誕生した理由メンバー違い序列わかりやすく解説します。

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五大老と五奉行が誕生した理由は?

文禄4年(1595年)、豊臣秀吉の養嗣子だった羽柴秀次が謀反を起こして切腹しました。

57歳の豊臣秀吉に実子・豊臣秀頼が誕生し、後継者の立場を追われたためです。

豊臣秀頼が誕生する前から、豊臣秀吉やその家臣は関白・羽柴秀次を次期当主とみなし、政権を運営してきました。
ところが、羽柴秀次が亡くなったことで、生まれたばかりの豊臣秀頼が後継者となります。

戦国武将の平均寿命は42歳。
豊臣秀頼が政務を立派にこなせるようになるまで、豊臣秀吉が元気に生きていられるとは限りません。

天正18年(1590年)に苦労を重ねて天下を統一した豊臣秀吉は、

(自分の死後)他の大名に政権を奪われるのではないか。

と心配し始めます。

そこで、豊臣秀吉は、
① 5人の有力大名を五大老
② 5人の有力家臣を五奉行
に任命し、豊臣政権の継続を図りました。

五大老と五奉行のメンバーと違いは?

豊臣秀吉が設置した五大老と五奉行には、誰が選ばれたのでしょうか。
また、五大老と五奉行には、どのような違いがあったのでしょうか。

五大老のメンバー

五大老のメンバーは、
① 小早川隆景(北九州)
② 毛利輝元(中国)
③ 前田利家(加賀)
④ 宇喜多秀家(中国)
⑤ 徳川家康(関東)
の5人で、諸国の有力大名で構成されています。

小早川隆景が亡くなると、上杉景勝(北陸)が代わりに加わりました。
前田利家が亡くなると、長男・前田利長が代わりに加わりました。

五奉行のメンバー

五奉行のメンバーは、
① 浅野長政(司法担当)
② 前田玄以(宗教担当)
③ 石田三成(行政担当)
④ 増田長盛(土木担当)
⑤ 長束正家(財政担当)
の5人で、豊臣秀吉に仕えて10年以上が経った家臣で構成されています。

五大老と五奉行の違いは?

豊臣政権の継続を図るために設置された五大老と五奉行。

設置された目的は同じですが、
① 職務内容(役割)
② 豊臣秀吉との関係性
に違いがありました。

職務内容(役割)

豊臣秀吉が五大老に任せたのは、豊臣秀頼の補佐です。
豊臣秀頼が成人し、政務を立派にこなせるようになるまで、重要事項は合議制で決めるよう命じました。

対して、豊臣秀吉が五奉行に任せたのは、司法、宗教、行政、土木、財政といった実務でした。

豊臣秀吉との関係性

紹介したように、
① 五大老は諸国の有力大名
② 五奉行は豊臣秀吉に仕えて10年以上が経った家臣
で構成されています。

五大老のうち、
① 豊臣家を上回る石高をもっていた徳川家康
② 織田信長と敵対した毛利輝元
は豊臣秀吉と対立していた過去があり、豊臣秀吉はこの2人を特に警戒していました。

そこで、豊臣秀吉は、
① 豊臣秀頼の傅役を務める前田利家
② 豊臣秀吉の猶子である宇喜多秀家
③ 同じ織田信長に仕えていた小早川隆景
信頼できる3人を五大老のメンバーに加えます。

そして、

重要事項は合議制で決めるように!

と命じてけん制しました。

対して、豊臣秀吉は五奉行を信頼して特にけん制しませんでした。

五大老と五奉行のどっちが上?

これまで、五大老は五奉行より格上だと考えられてきました。

おゆう
おゆう

というのも、五大老は当主・豊臣秀頼に近い立場だったからです。

ところが、五大老と五奉行の職務内容(役割)から、五奉行は五大老より格上だったのではないかとも考えられています。

豊臣秀吉は実務を五奉行に任せたと紹介しましたが、五奉行の具体的な職務内容は、
① 京都、大坂、堺、長崎などの主要都市の支配
② 豊臣家直轄領の統括
③ 諸大名への知行給与
などで、五奉行の実務は日本全国に及びました。

対して、豊臣秀頼の補佐役だった五大老は豊臣秀頼と五奉行の指示に従わなければいけませんでした。

確かに、豊臣秀頼に近い立場だった五大老は五奉行より格上だったかもしれません。
でも、豊臣秀頼と五奉行の指示に従わなければいけなかったという制約を考えると、五奉行は五大老より格上だったともいえます。

おゆう
おゆう

五大老と五奉行は権力が誰か一人に偏らないよう設置されました。
どっちが上、どっちが下という序列はそもそもないのかもしれませんね。

まとめ:五大老と五奉行を設置して政権の継続を図るも、豊臣秀吉の死後は敵対!

五大老五奉行が誕生した理由メンバー違い序列わかりやすく解説しました。

諸国の有力大名を五大老として味方に取り込み、信頼できる五奉行とけん制し合うように仕向けました。後に、五大老のトップ・徳川家康と五奉行のトップ・石田五成が戦を引き起こします。

豊臣秀吉は政権の崩壊する可能性が高いと予想していたかもしれません。
ただ、豊臣秀吉には、五大老と五奉行に後世を託すしかなかったんですね。

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