徳川家康の長女・亀姫の生涯と本多正純を失脚させた宇都宮城釣天井事件

奥平信昌に嫁ぎ、徳川氏の勢力拡大に貢献した亀姫。

その一方で、本多正信の長男・本多正純を失脚させる事件を起こし、徳川家臣に波風を立てました。

徳川家康長女亀姫の生涯と本多正純を失脚させた宇都宮城釣天井事件を紹介します。

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徳川家康の長女・亀姫の生涯

亀姫は永禄3年(1560年)6月生まれで、徳川家康と正室・築山殿の間に長女として誕生しました。

亀姫が生まれる一週間前、徳川家康を取り巻く環境は大きく変化しました。

今川家で人質として育った徳川家康は、今川義元の姪・築山殿と結婚。
長男・信康と一緒に駿府で暮らしていました。

ところが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれ、今川家は当主不在になり大混乱。

徳川家康も主君を失い、自害しようとするほど、気が動転しました。

その後、徳川家康は生まれ育った岡崎城に戻り、今川家から独立すると決意。
ところが、築山殿、信康、生まれたばかりの亀姫を駿府に置き去りにしてしまいました。

3人が徳川家康と一緒に暮らすようになったのは、永禄5年(1562年)のこと。
約2年間とはいえ、亀姫は徳川家康と同じく今川家で人質生活を送ったんですね。

奥平信昌と結婚する

天正4年(1576年)7月、亀姫は元武田家臣・奥平信昌と結婚しました。

武田信玄は徳川家康が長年敵対してきた相手。
何故、武田信玄、武田勝頼に仕えていた奥平信昌に、大事な愛娘を嫁がせたのでしょうか。

それは、武田家臣を徳川家に引き抜きたかったからです。

亀姫は徳川家康の政略に利用されたんですね。

5人の子どもを育て上げる

徳川家康の正室・築山殿はプライドが高く、嫉妬深かったことで有名ですが、亀姫の性格は母親譲り。

当時、戦国武将が側室を抱えることは珍しくありませんでした。
でも、亀姫は奥平信昌が側室を抱えることを許しませんでした。

① 天正5年(1577年)に長男・奥平家昌
② 天正8年(1579年)に次男・松平家治
③ 天正8年(1579年)に三男・奥平忠政
④ 天正11年(1582年)に四男・松平忠明
を出産。
この他に、女の子を一人授かり、亀姫は合計5人の子どもを産んで育てあげました。

側室を迎える目的は跡継ぎを一人でも多く残すため。
亀姫は「側室を迎えなくても、私がいれば跡継ぎに困らない」と証明したかったのかもしれません。

孫の後見役を務める

慶長5年(1600年)に勃発した関ヶ原の戦いで武功をあげた奥平信昌は美濃国加納10万石に入封。
美濃加納藩初代藩主となりました。

慶長7年(1602年)には、奥平信昌は三男・奥平忠政に加納藩主を譲り隠居。

亀姫は奥平信昌と静かな余生を送るものだと思っていました。

ところが、慶長19年(1614年)10月に長男・奥平家昌が37歳で死去。
その後、後を継いで加納藩主となった奥平忠政が34歳、奥平信昌が60歳で相次いで死去しました。

亀姫は剃髪して出家し、盛徳院と号し、
・7歳で奥平家昌の跡を継いだ奥平忠昌
・6歳で奥平忠政の跡を継いだ奥平忠隆
など、孫の後見役となりました。

寛永2年(1625年)、亀姫は66歳で亡くなりました。

本多正純を失脚させた宇都宮城釣天井事件

亀姫が後見役を務めていた孫・奥平忠昌は、亡き父・奥平家昌の跡を継いで下野国宇都宮藩主となりました。

その5年後、奥平忠昌は下総国古河藩に転封となります。
奥平忠昌に代わって宇都宮藩に入封したのは、本多正信の長男・本多正純でした。

実は、亀姫は本多正信・本多正純親子を憎んでいました。
というのも、亀姫の一人娘の嫁ぎ先である大久保氏の没落に、二人が大きく関わっていたためです。

① 本多正信・正純親子
② 大久保忠隣(亀姫の娘の夫・大久保忠常の父)
は対立していて、本多正信・正純親子が大久保忠隣を罠にはめて排除しました。

何故、本多正純のために、孫が宇都宮藩を去らなければいけなかったのか。
本多正信・正純親子に対する怒りを蘇らせた亀姫は、本多正純を罠にはめることにしました。

宇都宮城に宿泊する予定のあった江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠に、
・宇都宮城の湯殿に、釣天井が仕掛けられている
・本多正純は暗殺を企んでいる
と嘘をついたんです。

以前から、徳川秀忠は大きな権力を握っていた本多正純を疎んでいました。

そのため、徳川秀忠は異母姉である亀姫の言うことを信じてしまいました。
実際には、宇都宮城に釣天井はありませんでしたが、本多正純は横手に流刑となりました。

藩主が不在となった宇都宮藩には、亀姫の願いどおり、奥平忠昌が配置されました。

まとめ:亀姫は嫉妬深く、恨み深かった!

徳川家康長女亀姫の生涯と本多正純を失脚させた宇都宮城釣天井事件を紹介しました。

夫、子どもに先立たれた亀姫は、孫の世話をして晩年を過ごしました。

亀姫の葬儀の喪主は奥平忠隆が務めました。
あの世から、亀姫は孫が立派に育ったことを喜んだのではないでしょうか。

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