織田信長と今川義元の間で繰り広げられた桶狭間の戦い。
徳川家康は織田家と今川家の人質となったことがありますが、この時は今川家の人質で、今川義元の指揮のもと、参戦しました。
桶狭間の戦いでは、徳川家康はどのような任務を与えられていたのでしょうか。
また、徳川家康が織田信長に寝返り、今川義元を裏切ったのではないかと考える方がいらっしゃりますが、本当なのでしょうか。
桶狭間の戦いにおける徳川家康の動き、寝返り、裏切り行為の真実を紹介します。
桶狭間の戦いとは?
教科書で必ず取り上げられる桶狭間の戦い。
テストに出たのは覚えているけど、どんな戦いだったかは忘れてしまったという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。
ここで、桶狭間の戦いについて、簡単におさらいしておきましょう。
桶狭間の戦いとは、永禄3年(1560年)に起きた、尾張の織田信長と駿河・遠江・三河の今川義元間の戦いを指します。
愛知県豊明市にある桶狭間で合戦が行われたことから、桶狭間の戦いと呼ばれています。
対して、当時41歳の今川義元が率いる兵は2万5000人。
兵力に圧倒的な差があるにも関わらず、織田信長が今川義元を打ち取った歴史的戦いです。
桶狭間の戦いにおける徳川家康の動き
紹介したように、今川家の人質だった徳川家康は、今川義元の指揮のもと、桶狭間の戦いに参加していました。
今川義元から与えられた任務は大高城への兵糧入れ。
大高城は名古屋市緑区にあった城で、当時は尾張に属していました。
つまり、大高城は元々織田氏の支配下にあったんです。
ところが、織田信長の父・織田信秀が亡くなり、織田信長が家督を継ぐと、織田家に仕えていた鳴海城主・山口教継が織田信長を裏切り、今川義元に鳴海城を明け渡したうえ、大高城と近くにあった沓掛城が今川義元の手に落ちるよう謀ってしまいます。
今川氏の領土がこれ以上広がらないよう、織田信長は大高城から東に800メートルのところに中根城を、北東に700メートルのところに鷲津城を築きました。
大高城、丸根城、鷲津城はまさに境界だったんですね。
大高城を手に入れた今川義元は家臣・朝比奈輝勝に守備を任せましたが、丸根城と鷲津城が完成すると、大高城の守りを強化するべく、鵜殿長照を城主に任命して向かわせました。
鵜殿長照は織田軍と戦いつつ、大高城になんとかたどり着きますが、大高城は織田軍に包囲され、兵糧を運び入れられなくなってしまいました。
草や木の身を食べて飢えをしのぎましたが、大高城の兵の士気は下がるばかり。
そこで、今川義元は徳川家康に大高城への兵糧入れを命じたんです。
では、徳川家康はどのようにして大高城へ兵糧を運んだのでしょうか。
まず、大高城から20キロメートルも離れた別の城に攻め入りました。
大高城から離れた城を攻撃したことにより、織田軍は徳川家康が大高城に入ろうとしていないと思い込み、大高城の包囲網を解いて進軍しました。
大高城から織田軍が離れたことを確認すると、徳川家康は急いで兵糧を運び入れました。
兵糧入りを成功させた徳川家康は丸根城と鷲津城を攻め落とし、鵜殿長照と交代して、大高城の守備にあたりました。
寝返り、裏切りは本当?
今川義元から与えられた任務を無事に果たし、大高城で休んでいた徳川家康のもとに、信じられないニュースが飛び込んできました。
今川義元が織田信長に討たれたというんです。
大高城で休んでいたために、今川義元と共に織田信長に討たれず済んだ徳川家康。
今川家で人質生活を送ってきたとはいえ、長年仕えた今川義元が敗死したことは、徳川家康に強いショックを与えました。
徳川家康は松平家の菩提寺・大樹寺に逃げ込み、切腹しようとしました。
すると、住職・登誉天室は「厭離穢土欣求浄土」と説いて、切腹を思いとどまらせました。
そして、登誉天室の説法は、徳川家康に「欲望を満たすために戦乱が繰り広げられる穢れた世の中を、平和な世の中に変えてみせる」と決意させました。
その後、徳川家康は生まれた岡崎城に戻り、独自の判断で織田信長と戦う姿勢をみせます。
今川義元の敗死を機に、徳川家康は今川家を離れたんです。
更に、永禄5年(1562年)には、織田信長と清州同盟を結び、今川義元の子ども・今川氏真と戦いました。
桶狭間の戦いの直後に今川家を離れたことから、徳川家康は織田家に寝返り、今川義元を裏切ったと誤解されるのかもしれませんね。
もしかしたら、近々、徳川家康が桶狭間の戦いの最中、もしくは、戦いの前から、織田信長と通じて今川義元を裏切っていたというニュースが発表されるかもしれません。
まとめ
桶狭間の戦いにおける徳川家康の動き、寝返り、裏切り行為の真実を紹介しました。
桶狭間の戦いにおいて、徳川家康が主君・今川義元から与えられた任務は大高城への兵糧入れでした。
その後、大高城付近にある織田氏の城・丸根城、鷲津城を攻め落とすも、離れた地で今川義元は織田信長に討たれてしまいました。
桶狭間の戦いの後、徳川家康は今川家を離れ、独自の勢力を拡大していきます。
徳川家康にとって、桶狭間の戦いは大きなターニングポイントとなったんですね。
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