桶狭間の戦いで徳川家康は大高城に兵糧入れ!寝返り、裏切りは本当?

織田信長と今川義元の間で繰り広げられた桶狭間の戦い。
織田家と今川家の人質を経験した徳川家康は、この時今川義元のもとで参戦しました。

桶狭間の戦いで、徳川家康が与えられた任務は孤立した大高城への兵糧入れ。
徳川家康はどのようにして大高城に兵糧を運んだのでしょうか。

また、徳川家康が織田信長に寝返り、今川義元を裏切ったと考える方がいますが、本当なのでしょうか。

桶狭間の戦いにおける徳川家康大高城への兵糧入れ
寝返り裏切り行為の真実
を紹介します。

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桶狭間の戦いとは?

教科書で必ず取り上げられる桶狭間の戦い。
テストに出たのは覚えているけど、どんな戦いだったかは忘れてしまったという方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

おゆう
ゆこ

ここで、桶狭間の戦いについて、簡単におさらいしておきましょう。

桶狭間の戦いとは、永禄3年(1560年)に起きた、
① 尾張の織田信長
② 駿河・遠江・三河の今川義元
の間の戦いを指します。

愛知県豊明市にある桶狭間で合戦が行われたことから、桶狭間の戦いと呼ばれています。

☑ 当時27歳の織田信長が率いる兵は4000人。
☑ 当時41歳の今川義元が率いる兵は2万5000人。

兵力に圧倒的な差があるにも関わらず、織田信長が今川義元を打ち取った歴史的戦いです。

桶狭間の戦いにおける徳川家康の兵糧入れ

紹介したように、徳川家康は今川義元のもと、桶狭間の戦いに参加していました。
徳川家康が与えられた任務は大高城への兵糧入れです。

大高城は名古屋市緑区にあった城で、当時は尾張に属していました。
つまり、大高城は元々織田氏の支配下にあったんです。

ところが、織田信長の父・織田信秀が亡くなると、織田家臣の鳴海城主・山口教継が裏切ります。
鳴海城だけでなく、大高城の近くにあった沓掛城を今川氏に明け渡してしまいました。

今川氏の領土がこれ以上広がらないよう、織田信長は大高城から、
・東に800メートルのところに中根城
・北東に700メートルのところに鷲津城
を築きました。

おゆう
ゆこ

大高城、丸根城、鷲津城はまさに境界だったんですね。

大高城を手に入れた今川義元は家臣・朝比奈輝勝に守備を任せます。
そして、大高城の守りを強化するべく、鵜殿長照を城主に任命して向かわせました。

鵜殿長照は織田軍と戦いつつ、大高城になんとかたどり着きます。
ところが、大高城は織田軍に包囲され、兵糧を運び入れられなくなってしまいました。

草や木の身を食べて飢えをしのぎましたが、大高城の兵の士気は下がるばかり。
そこで、今川義元は徳川家康に大高城への兵糧入れを命じました。

徳川家康はどのようにして孤立した大高城へ兵糧を運んだのでしょうか。

まず、大高城から20キロメートルも離れた別の城に攻め入りました。
大高城から離れた城を攻撃したことにより、

織田家家紋
織田信長

徳川家康は大高城を見捨てたな…

と思い込み、大高城の包囲網を解いて進軍しました。
大高城から織田軍が離れたことを確認すると、徳川家康は急いで兵糧を運び入れました。

兵糧入りを成功させた徳川家康は鵜殿長照と交代して、大高城の守備にあたりました。

寝返り、裏切りは本当?

任務を無事に果たした徳川家康のもとに、信じられないニュースが飛び込んできました。

徳川家家紋
徳川家康

今川義元が織田信長に討たれたというんです。

人質だったとはいえ、徳川家康は主君・今川義元の敗死に強いショックを受けました。
徳川家康は松平家の菩提寺・大樹寺に逃げ込み、切腹しようとしました。

すると、住職・登誉天室は「厭離穢土欣求浄土」と説いて、切腹を思いとどまらせました。

この時、徳川家康は、

徳川家家紋
徳川家康

欲望を満たすために戦乱が繰り広げられる穢れた世の中を…

平和な世の中に変えてみせる!

と決意しました。

その後、徳川家康は生まれた岡崎城に戻り、今川家を離れて織田信長と戦う姿勢をみせます。
更に、永禄5年(1562年)には、織田信長と清州同盟を結び、今川義元の子ども・今川氏真と戦いました。

桶狭間の戦いの直後に今川家を離れたことから、徳川家康は今川義元を裏切ったと誤解されるのかもしれませんね。

近年のドラマや小説では、今川義元の出陣要請に徳川家康が応じなかったという描写があります。
もしかしたら、
・徳川家康が桶狭間の戦いの最中に裏切った
・戦いの前から織田信長と通じていた
というニュースが発表されるかもしれませんね。

まとめ:徳川家康は兵糧入れを成功させたけど…

桶狭間の戦いにおける徳川家康大高城への兵糧入れ
寝返り裏切り行為の真実
を紹介しました。

桶狭間の戦いにおいて、徳川家康が与えられた任務は孤立した大高城への兵糧入れでした。
徳川家康は任務を果たすも、離れた地で主君・今川義元は織田信長に討たれてしまいました。

桶狭間の戦いの後、徳川家康は今川家を離れ、独自の勢力を拡大していきます。
徳川家康にとって、桶狭間の戦いは大きなターニングポイントとなったんですね。

【観光スポット】大高城跡に行こう!

徳川家康の兵糧入れによって、桶狭間の戦い直前まで今川方として存続した大高城。
現在は緑に包まれた城跡として整備され、住宅地に囲まれた静かな空気の中で、当時に思いを馳せることができます。

東海道線を挟んで東には、鷲津砦跡や丸根砦跡があり、あわせて散策することができます。
織田信長、今川義元、徳川家康の人生を大きく変えた大高城に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

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