・織田信長の跡継ぎを決定する
・織田家の領地再分配を行う
目的で開かれた清洲会議。
小説や映画の題材としてよく取り上げられますが、清洲会議に徳川家康の姿は見られません。
徳川家康が清洲会議に参加しなかった4つの理由を紹介します。
清洲会議とは?
天正10年(1582年)6月、本能寺の変が勃発。
織田信長と長男・織田信忠が明智光秀に討たれました。
織田信長、跡継ぎだった織田信忠が同日に亡くなり、跡継ぎのいなくなった織田家は大混乱に陥りました。
そこで、豊臣秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人は清洲城で急遽会議を開きます。
清洲会議では、跡継ぎを決定したり、織田家の領地を再分配したりしました。
清洲会議に参加したのは豊臣秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人。
① 織田信長の次男・織田信雄
② 織田信長の三男・織田信孝
③ 清洲同盟の相手・徳川家康
の3人は誓紙を交わし、会議の決定に従う姿勢を示していました。
徳川家康が清洲会議に参加しなかった4つの理由
徳川家康は会議の決定に従うという誓紙を交わしただけで、清洲会議に参加しませんでした。
徳川家康が清洲会議に参加しなかった理由は4つあります。
他家だから
清洲会議に参加した豊臣秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の4人は織田信長に仕えた家臣。
一方、徳川家康は織田信長と清洲同盟を結んだ相手に過ぎません。
徳川家康にとって、織田家は他家。
他人の争いに首を突っ込むことはできませんでした。
徳川家康の長男・信康は織田信長の長女・徳姫と結婚していました。
でも、武田家との内通を疑われたため、天正7年(1579年)に徳姫と離縁し切腹しました。
信康が徳姫と離縁していなければ、
・織田信長の義理の息子である信康
・織田信長の相舅である徳川家康
が清洲会議に参加していたかもしれません。
天正壬午の乱で忙しかったから
本能寺の変が起きた直後、織田信長の支配していた旧武田領を巡って、天正壬午の乱が勃発しました。
天正壬午の乱は徳川家康、北条氏直・氏政親子、上杉景勝の三つ巴の戦い。
・上杉景勝は兵2万人
を動員しましたが、徳川家康は兵1万人しか動員することができませんでした。
兵力が圧倒的に不足している徳川家康には清洲会議に参加する余裕がありませんでした。
信康を思い出したくなかったから
紹介したように、徳川家康の長男・信康は天正7年(1579年)に切腹しました。
信康を切腹に追い込んだのは、織田信長と長女・徳姫です。
跡継ぎを決める会議に参加したら、信康を失った悲しみが止まらなくなるかもしれません。
また、織田信長と徳姫に対して、怒りが湧いてくるかもしれません。
徳川家康は織田家と距離を置きたかったのではないでしょうか。
派閥争いに巻き込まれたくなかったから
跡継ぎ候補として、
① 織田信長の次男・織田信雄
② 織田信長の三男・織田信孝
③ 織田信長の孫・織田秀信(三法師。長男・織田信忠の長男)
の3人が名を連ねていました。
・織田信孝は永禄元年(1558年)4月生まれ
と、二人の年齢はたった1ヶ月差。
会議の決定に従うという誓紙を交わしていた織田信雄と織田信孝。
にも関わらず、二人は譲歩することなく、自身が跡継ぎだと主張し続けました。
そこで、織田信長の敵を討った豊臣秀吉がわずか2歳の織田秀信を跡継ぎとすることを主張。
明智光秀を征伐しようと出陣したのは、実は豊臣秀吉と徳川家康の二人だけ。
弔合戦に参加していない柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興は何も言えません。
織田秀信を織田信雄、織田信孝、豊臣秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興の6人でサポートすることが決定しました。
ところが、6人の力関係が徐々に変化していきます。
まず、豊臣秀吉は丹羽長秀、池田恒興を懐柔して派閥作りました。
そして、清洲会議から3ヶ月が経ち、織田信長の葬儀が行われます。
織田信長の四男で豊臣秀吉が養子に迎えていた羽柴秀勝が喪主を務めました。
更に、葬列では豊臣秀吉が織田信長の位牌を持ちます。
豊臣秀吉は「自分こそ、織田信長の後継者だ」とアピールしたんです。
翌年の天正11年(1583年)、豊臣秀吉と柴田勝家の不仲は賤ヶ岳の戦いを引き起こします。
徳川家康が清洲会議に参加していたら、賤ヶ岳の戦いに巻き込まれていたかもしれません。
まとめ:徳川家康は清洲会議に参加しなくて正解!
徳川家康が清洲会議に参加しなかった4つの理由を紹介しました。
徳川家康が清洲会議に参加しなかった理由には、
① 他家だから
② 天正壬午の乱で忙しかったから
③ 長男・信康を思い出したくなかったから
④ 派閥争いに巻き込まれたくなかったから
などが挙げられます。
徳川家康が清洲会議に参加していたら、賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉か柴田勝家のどちらかに味方しなければいけなかったかもしれません。
そして、万が一、賤ヶ岳の戦いで徳川家康が負けたら、徳川家康は天下人になることができなかったかもしれません。
他家の会議とはいえ、徳川家康にとって、清洲会議は人生を左右する出来事だったのでないでしょうか。
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