豊臣秀吉が初めて築いた城は長浜城!築城の背景と歴代城主、その後

豊臣秀吉(築城当時は羽柴秀吉)の出世を語るのに欠かせないのが長浜城。
長浜城は豊臣秀吉が初めて築城し、また、統治した城です。

長浜城築城背景から歴代城主その後変遷までを詳しく紹介します。

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豊臣秀吉が初めて築いた城・長浜城とは?

長浜城は天正元年(1573年)に豊臣秀吉が築いた平城です。

現在の滋賀県長浜市にありましたが、築城当時の地名は長浜ではなく「今浜」。
実は、豊臣秀吉が主君・織田信長から一文字拝借して、今浜から長浜に改名したといわれています。

豊臣秀吉にとって、長浜城築城は織田信長への忠誠心を示す手段でもあったことがよくわかります。

長浜城築城の背景

元亀元年(1570年)に織田・徳川軍と浅井・朝倉軍の間で起きた姉川の戦い。

姉川の戦いで勝利したのは織田・徳川軍です。
でも、前哨戦である金ヶ崎の戦いで、織田信長は浅井長政や朝倉義景に苦しめられてきました。

織田家家紋
織田信長

織田信長が勝利を掴んだのは、豊臣秀吉の功績があったからこそ。

浅井氏の本拠地(旧領)・近江北部の一部を、織田信長は豊臣秀吉に与えます。

豊臣秀吉が領国支配の拠点として選んだのが琵琶湖に面する今浜でした。

琵琶湖は天然の堀として活用する、船着き場を設けるのに便利。
長浜城は軍備と水運(交通・物流)を兼ね備えていました。

長浜城の歴代城主

長浜城を築いたのは豊臣秀吉ですが、城主を務めたのは豊臣秀吉だけではありません。

初代城主・豊臣秀吉

初代城主は、天正元年(1573年)に長浜城を築いた豊臣秀吉。
長浜城を拠点に近江北部を治めながら、軍事・政治手腕を発揮し、織田信長から更に信頼を得ました。

その後、豊臣秀吉は播磨・但馬平定、中国攻めと戦が続きます。

第2代城主・堀秀政

忙しい豊臣秀吉に代わって城主を務めることになったのが、織田信長の側近・堀秀政。

天正9年(1581年)、織田信長は荒木村重討伐や越前一向宗制圧で手柄をあげた堀秀政を城主にしました。

第3代城主・柴田勝豊

天正10年(1582年)に織田信長が本能寺の変で討たれ、清洲会議が行われます。

清洲会議の結果、柴田勝家の甥・勝豊が長浜城城主に決まりました。

ところが、豊臣秀吉と柴田勝家の間で争いが起こります。
豊臣秀吉は柴田勝豊を降伏させて長浜城を取り戻しました。

第4代城主・山内一豊

天正12年(1584年)、豊臣秀吉は山内一豊を長浜城城主に任命します。
山内一豊は豊臣秀吉が長浜城を統治していた頃からの家臣で、長浜城主を務めるのは自然な流れでした。

後に、山内一豊は土佐一国を治める戦国大名になります。
豊臣秀吉と同じように、山内一豊も長浜城で領国支配の経験を積んだんですね。

第5代城主・内藤信成・信正親子

関ヶ原の戦いを経て、豊臣家を抑制するべく城主となったのが内藤信成・信正親子です。

内藤信成は徳川家康の異母弟にあたります。
内藤信成・信正親子は慶長11年(1606年)から慶長20年(1615年)までの約10年間長浜城を治めました。

大坂の陣を経て、内藤氏は摂津高槻に移封となり、長浜を去ります。

長浜城のその後

長浜城廃城からさかのぼること13年。
長浜城からわずか15km離れた地に、井伊直政は彦根城を築こうとしていました。

ところが、築城を開始するなり、慶長7年(1602年)に井伊直政は病死。

井伊直政の息子・直継に代わって、家老・木俣守勝が遺志を継ぎ彦根城築城に取りかかります。
ところが、築城開始から13年が経ち、長浜城が廃城されてもなお、彦根城はまだ完成していませんでした。

そこで、廃城となった長浜城の資材の多くを彦根城築城や寺の建立などに流用することになりました。

例えば、
・彦根城の天秤櫓は長浜城のもの
・長浜市内にある大通寺の台所門は長浜城の大手門
・長浜市内にある知善院の表門は長浜城の搦手門
を用いたものだといわれています。

廃城から350年以上の時を経て、昭和56年(1981年)に長浜城の再興が始まります。
再興開始から2年後、城郭型の「長浜城歴史博物館」が誕生しました。

まとめ:長浜城は戦国武将のキャリア形成に重要な城!

長浜城築城背景から歴代城主その後変遷までを詳しく紹介しました。

豊臣秀吉は金ヶ崎の戦い、姉川の戦いの褒美として与えられた近江北部の今浜に城を築きます。
そして、織田信長から一文字拝借して「長浜」と改め、織田信長への忠誠心を示しました。

軍備と水運を兼ね備えていた長浜城の統治は、豊臣秀吉にとって貴重な経験だったに違いありません。

天正元年(1573年)から元和元年(1615年)までの42年間しか存在しなかった長浜城。
長浜城の名が現代に伝わるのは、戦国武将のキャリア形成に重要な城だったからではないでしょうか。

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