
歴史を学んでいると、皇帝や有名な武将に注目しがち。
でも、裏で政治を支えていた官僚たちの活躍も見逃せません。
例えば、唐の第3代皇帝・高宗(李治)の治世。
上官儀は文才を見出され、高宗に重用されたエリート官僚です。
でも、則天武后と対立して処刑されてしまいます。
その15年後、上官婉児という女性が則天武后に使えました。
① 上官儀がどのような人物だったのか
② 則天武后(武則天)になぜ処刑されたのかという理由
③ 上官婉児との関係
について、わかりやすく解説します。
上官儀とはどんな人?
上官儀は、大業4年(608年)生まれで、陝州(現在の河南省三門峡市)の出身。
太宗に仕える
幼少期を沙門(僧侶)として過ごした上官儀。
釈典や経史を学んで、文才を磨きました。
貞観元年(627年)に科挙で最も難しいといわれる進士科に合格。
唐の第2代皇帝・太宗(李世民)に重用されました。
貞観20年(646年)には、晋朝に関する歴史書「晋書」の編纂に携わります。
太宗は文を作るたびに、上官儀に目を通させたといわれています。
高宗に仕える
貞観23年(649年)に高宗が即位すると、秘書少監になります。
例えば、高宗が詔勅を作ると、上官儀は格式と説得力のある表現に修正しました。

皇帝の意思を伝える詔勅。
詔勅の内容によって、政策の方向性が決まり、国内外に大きな影響を与えます。
上官儀が高宗からも高く評価されていたことがわかりますね。
上官体を確立する
上官儀は特に六朝風の五言詩に秀でていました。
皇帝から頼まれて作った詩もあり、上官儀の詩体を真似する貴族や高官が続出。
やがて、上官儀の詩体は「上官体」と呼ばれるようになりました。
則天武后に処刑された理由
文章が上手いだけでなく、上官儀は政治に対する考え方にも特徴がありました。
上官儀は儒教的な価値観を重んじ、秩序ある政治体制を大切にするタイプの官僚。
皇帝を中心とした統治を理想とし、皇帝以外の人物が権力をもつことに否定的でした。
則天武后の台頭
ところが、この頃、宮廷内の権力に大きな変化が起きていました。
後に中国史上唯一の女帝となる則天武后の存在です。

則天武后は優秀で、政治にも積極的に関わる人物でした。
やがて政務や人事に強い影響力をもち、宮廷ではその存在感が大きくなっていきました。
このような状況に対して、伝統的な政治秩序を重んじる官僚は警戒感を強めていきます。
上官儀もまた、その一人でした。
高宗の命令で廃后の詔勅を作る
則天武后の権力の大きさに危機感を抱いていた高宗。
ある日、高宗は「則天武后が自分を殺そうとしているのでは」と疑いました。
そこで、高宗は則天武后を廃そうと考え、そのための詔書の作成を上官儀に命じます。
上官儀は皇帝の命令を拒否することができません。
上官儀は廃后の文書を準備しました。
高宗から罪をなすりつけられる
ところが、この動きはすぐ則天武后にバレてしまいます。
則天武后に問い詰められた高宗は、上官儀に思わず責任を転嫁しました。
処刑され、一族も処罰される
則天武后を廃そうとした、いわゆる「謀反の罪」をなすりつけられた上官儀。
上官儀は麟徳元年(664年)に処刑されてしまいます。
当時の慣習により、一族も連座して処罰を受けることになりました。
上官婉児との関係
上官儀の死後、一族は厳しい状況に置かれました。
その中にいたのが、上官儀の孫娘にあたる上官婉児です。
上官婉児は麟徳元年(664年)生まれ。
奇しくも上官儀が処刑された年に生まれたことになります。
上官婉児は幼くして、母・鄭氏と一緒に宮廷に入りました。

宮廷生活といっても華々しいものではありません。
罪人の孫娘として、官婢として自由のない宮廷生活を送りました。
上官婉児が宮廷で生き抜いていけるよう、鄭氏は学問を教えます。
上官儀の才能を受け継いだのか、上官婉児は特に文章力に優れていました。
その才能がやがて周囲に認められるようになります。
そして最終的には、祖父を処刑に追いやった則天武后に見出されました。
則天武后は出自に関係なく、能力を評価して、優秀な人材を登用します。
上官婉児は秘書として、則天武后に仕えました。

祖父と同じく詔勅の作成に関わるようになった上官婉児。
上官婉児もまた、宮廷政治の中枢で重要な役割を担う存在へと成長していきました。

上官儀は則天武后との対立によって命を落としました。
一方で、上官婉児は則天武后に仕えて出世しました。
則天武后の二人に対する姿勢は正反対にみえるかもしれません。
ただ、二人の共通点は「文章の才能によって宮廷で活躍した」という点。
上官家が代々文才に恵まれた一族であったことがわかりますね。
まとめ:則天武后に処刑された上官儀と重用された上官婉児
上官儀は太宗、高宗の2代にわたって仕えた優秀な官僚です。
ところが、宮廷の権力争いによって命を落としてしまいました。
高宗から謀反の罪をなすりつけられた上官儀。
唐の宮廷がいかに複雑で緊張感に満ちた場所だったのかをよく示しています。
一族処罰の影響は、孫娘の上官婉児にも引き継がれました。
このような厳しい生い立ちの中、上官婉児は則天武后の秘書として活躍します。
上官儀から受け継いだ文才が上官婉児を救ったのではないでしょうか。
中国時代劇を見て、則天武后に興味をもった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
則天武后について知りたい方は、氣賀澤保規著「則天武后」がおすすめ。
則天武后の心理状態が適度に描写され、小説のようにスラスラ読めます。
ぜひ一度、「則天武后」を読んでみてください。
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