【唐】韋皇后とはどんな人?安楽公主と共に権力を握った理由と最期

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李氏政権の唐王朝に大きな混乱をもたらした女帝・則天武后。
則天武后の晩年に頭角を現したのが、唐の第4代皇帝・中宗の正室・韋皇后です。

韋皇后は皇后の枠を超えた権力を手にしようと、娘・安楽公主と共に政治に関与。
則天武后ほどではないものの、唐王朝に混乱をもたらした人物として知られています。

韋皇后生い立ち安楽公主と共に権力を握った理由最期をわかりやすく紹介します。

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韋皇后とはどんな人?

韋皇后は顕慶5年(660年)頃の生まれで、京兆府万年県(陝西省西安市)の出身。
普州参軍・韋玄貞の娘として誕生しました。

則天武后に対抗する

嗣聖元年(684年)、夫の李顕が唐の第4代皇帝・中宗が即位すると、皇后になります。

ただ、実際に朝廷の実権を握っているのは中宗ではなく、皇太后である則天武后。
皇帝とは名ばかりの夫の立ち位置に不満を抱き、韋皇后は則天武后に対抗しました。

房州に流される

則天武后が武氏一族を抜擢しているのをまねて、韋皇后は父・韋玄貞を侍中に推薦。
中宗は願いを叶えようとしましたが、則天武后の側近・裴炎から反対されてしまいます。

怒った中宗は、「皇帝である自分の力で、韋元貞に天下を与えることもできる」と発言。

則天武后は中宗をわずか55日で廃し、房州(湖北省十堰市)に流してしまいました。

房州に向かう途中、韋皇后は安楽公主を出産しますが、家族を房州で亡くします。

絶望した中宗は何度も自ら命を絶とうとしましたが、その度に、韋皇后に救われました。
また、幼い安楽公主を希望に、二人は仲良く過ごしました。

子供を次々と失う

聖暦2年(699年)、則天武后にゆるされた中宗は都に戻ります。

ところが、
① 第5皇女・永寿公主が早世する
② 第2皇子・李重潤と第7皇女・永泰公主が則天武后に処刑される
など、つらい出来事が韋皇后を襲いました。

中宗を毒殺する

神龍元年(705年)、則天武后が中宗に譲位し、中宗が皇帝に返り咲きます。
すると、韋皇后は則天武后の甥・武三思、従兄・韋温と協力して、朝廷の実権を握りました。

韋皇后が目指していたのは、第二の則天武后。
景雲元年(710年)、第8皇女・安楽公主と協力して、中宗を毒殺しました。

安楽公主と共に権力を握った理由

皇帝の正室である皇后は、皇帝と皇太子に続く高い地位。
でも、韋皇后は皇后の枠を超えた権力を握ろうとしていました。

則天武后
則天武后

紹介したように、韋皇后は第二の則天武后を目指していました。

ただ、権力志向が強い韋皇后に対して、夫・中宗は気が弱い。
中宗を頼りなく思っていた韋皇后は、中宗を超える権力を手にしようと行動しました。 

則天武后が高官の中から味方をみつけたように、韋皇后も味方をみつけて増やします。
人材登用や政策決定にも関与した韋皇后の周りには味方が集まりました。

女官
女官

味方の中でも一番頼りになったのが、血のつながった安楽公主。
安楽公主もまた、皇太子ならぬ皇太女になりたいという強い権力志向の持ち主。

韋皇后と安楽公主は親子であり、政治的パートナーでもありました。

韋皇后の最期

中宗の正室・韋皇后と誰よりも可愛がられてきた安楽公主。
則天武后、中宗の亡き後、二人の権力は絶頂を迎えます。

ただ、二人の基盤は決して安定したものではありませんでした。

李重茂を擁立する

安楽公主と協力して、中宗を毒殺した韋皇后。
韋皇后は自ら即位する準備が整うまでのつなぎとして、第4皇子・李重茂を擁立しました。

李重茂はこの時わずか15歳。
韋皇后の傀儡政権だったのは言うまでもありません。

クーデターで亡くなる

唐王朝は李淵が建国した李氏政権です。
ところが、則天武后が女帝になったことで、李氏政権は一時的に途絶えました。

則天武后が中宗に譲位したことで、李氏政権は復活します。
ただ、韋皇后が女帝になると、李氏政権は再び途絶えるかもしれません。

韋皇后の行動に危機感を抱いた
① 則天武后の娘・太平公主
② 中宗の弟・李隆基(後の唐の第9代皇帝・玄宗)
はクーデターを起こしました。

韋皇后は庶人に落とされ、安楽公主と共に50歳でこの世を去りました。 

韋皇后の死後、太平公主と玄宗の間で争いが起きました。
ただ、この争いが終わると、唐王朝は玄宗によって再編されます。

則天武后と韋皇后がもたらした混乱は落ち着き、開元の治が訪れました。

まとめ:敵対しながらも韋皇后は則天武后を目指していた!

第二の則天武后を目指し、皇后の枠を超えた権力を手にしようとしていた韋皇后。
流刑地に向かう途中で生まれた安楽公主と共に、朝廷で権力を握りました。

中宗の優柔不断さも影響し、韋皇后と安楽公主の権力は不安定。
最終的には、太平公主と李隆基のクーデターによって命を落とします。

中国史上唯一の女帝・則天武后は意外なところにも影響を与えていたんですね。
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