則天武后ばかりが注目されて、陰に隠れがちな夫・高宗。
高宗はどのような人物なのでしょうか。
また、日本にどのような影響を与えたのでしょうか。
高宗の生涯、日本に与えた影響をわかりやすく紹介します。
高宗の生涯
628年、高宗は第2代皇帝・太宗と長孫皇后の間に生まれました。
高宗は諡号で、本名は李治といいます。
第9皇子としてぬくぬく育つ
高宗は太宗の第9皇子で、身体が弱く、風眩という持病を抱えていました。
風眩とは頭に血がたまって、頭が痛くなったり、めまいを起こしたりする病気です。
皇太子が持病を抱えていると、将来皇帝になった時に、国を引っ張っていくのが難しいため、周囲から皇太子冊立を反対されます。
でも、高宗には、長孫皇后が産んだ第1皇子・李承乾、第4皇子・李泰という兄がいて、当時の皇太子は李承乾でした。
将来の心配をすることなく、高宗は宮廷でぬくぬくと育ちました。
皇太子になる
ところが、643年、李承乾と李泰が後継者争いを起こしてしまいました。
皇太子から引きずり下ろされるんじゃないか、李泰が皇太子に選ばれるんじゃないかと不安に駆られた李承乾が反乱を起こしたんです。
2人とも怪我をすることなく、反乱は鎮圧されましたが、喧嘩両成敗ということで、李承乾は流罪、李泰は幽閉されてしまいました。
突然空いた皇太子のポスト。
皇太子候補として、太宗の第3皇子・李恪と高宗の名前が挙がりました。
李恪は高宗より9歳年上で、15歳の高宗よりしっかりしていましたが、問題は生母の出身。
李恪の生母は隋の第2代皇帝・煬帝の娘・楊妃です。
一方、紹介したように、高宗の生母は長孫皇后です。
そのうえ、高宗は太宗の側近・長孫無忌の甥でした。
長孫無忌にとって、李恪は赤の他人ですが、高宗は身内。
赤の他人より、身内のほうが話しやすいですよね。
長孫無忌の推薦により、高宗は皇太子になりました。
皇帝になる
太宗が病で寝たきりになり、高宗は妹・金山公主と一緒にお見舞いに行きました。
649年、太宗が崩御すると、高宗は21歳で即位しました。
則天武后を妻に迎える
高宗には正妻・王皇后と蕭淑妃を含む側室がいましたが、則天武后と恋に落ちました。
652年、則天武后が妊娠し、李弘を出産すると、側室に迎えました。
宮廷に入ってしばらくは、則天武后と王皇后の関係は良好でしたが、則天武后が寵愛を独占したため、2人の関係は崩れました。
嫉妬した王皇后と蕭淑妃は、則天武后を陥れようと画策しましたが、それを逆手に取った則天武后によって、王皇后は廃され、2人は処刑されてしまいました。
王皇后を廃した後、則天武后は高宗の正妻として皇后になりました。
「唐律疏議」を公布する
651年には「永徽律」という法令を公布し、653年には「唐律疏議」という法令解釈書を公布しました。
「唐律疏議」は現存する中国の最古の法令解釈書だといわれています。
寵愛争いが繰り広げられる中、高宗は仕事をちゃんとしていたんですね。
垂簾の政が始まる
実は、高宗の側室になる前に、太宗の側室だった則天武后。
政務に取り組む太宗を間近で見てきた則天武后には、高宗を上回る政治手腕がありました。
高宗の持病が悪化したことも重なり、則天武后が朝廷に出席し、採決するようになりました。
封禅の儀を行う
封禅とは、皇帝が天地に平和を感謝する儀式。
といっても、皇帝であれば誰でも、封禅の儀を行えたわけではありません。
封禅の儀は泰山(山東省泰安市)で行うことがほとんど。
666年、高宗は隋の初代皇帝・楊堅以来行われていなかった封禅の儀を行いました。
55歳で崩御する
則天武后に朝廷を任せた高宗は、持病で伏せりがちになりました。
気功をしたり、頭に針を刺したりするなど、さまざまな治療法を取り入れましたが、683年に55歳で崩御しました。
日本に与えた影響
中国では王朝のトップを「皇帝」と呼んでいましたが、高宗は「天皇」とも呼ばれていました。
というのも、則天武后が「高宗を『天皇』、則天武后を『天后』と呼んではどうか」と提案したからです。
高宗から政務を任されていた則天武后は、自らの地位を高めようと、高宗と則天武后の二人を「二聖」と称しました。
第7回遣唐使が「中国ではトップを『天皇』と呼んでいる」という情報を持ち帰り、日本でも「天皇」という称号が採用されるようになりました。
当時の日本の天皇は天武天皇。
そのため、「天皇」という称号を初めて使ったのは、天武天皇ではないかといわれています。
まとめ
高宗の生涯、日本に与えた影響を紹介しました。
628年、第2代皇帝・太宗と長孫皇后の間に生まれた高宗は、15歳で皇太子になりました。
則天武后を妻に迎えると、則天武后による垂簾の政が始まり、朝廷から次第に遠ざかっていきました。
太宗が崩御した後は長孫無忌に、則天武后が皇后になった後は則天武后に実権を握られた高宗。
高宗が実権を握っていたら、唐はどうなっていたのかと想像してみるのもいいですね。
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