男色に興味のなかった徳川家康の心を奪った井伊直政。
実際のところ、徳川家康と井伊直政はどのような関係だったのでしょうか。
徳川家康と井伊直政の関係、徳川家康の男色相手で寵童だったといわれる理由を紹介します。
徳川家康と井伊直政の関係は?
井伊直政は徳川四天王の一人で、徳川家康の側近として、江戸幕府の成立に貢献した徳川家臣です。
でも、二人の関係は主君・家臣だけではありません。
実は、遠戚であり、相舅(あいやけ)でもありました。
遠戚
井伊直政の父・井伊直親は徳川家康の妻・築山殿の母の従兄弟でした。
☑ 徳川家康にとって、井伊直政は妻の従兄弟の子ども
☑ 井伊直政にとって、徳川家康は父の従兄弟の夫
となります。
主君から信頼を得た家臣が主君と姻戚関係を築くのは一般的な話。
でも、主君・家臣になる前から、二人は遠戚だったんですね。
相舅
井伊直政に厚い信頼を寄せた徳川家康は、四男・松平忠吉の妻に井伊直政の長女・清泉院(政子)を迎えます。
☑ 井伊直政は徳川家康の息子の義父
となり、相舅となりました。
徳川家康の男色相手で寵童だった?
井伊直政は小柄で、顔立ちが整っていて、美少年のような容姿をしていました。
小牧・長久手の戦いを終えた豊臣秀吉は、徳川家康を家臣にするべく母・大政所を送りました。
大政所を人質として扱う徳川家臣が多い中、井伊直政は大政所にお菓子を差し入れます。
大政所はもちろん、大政所と共に徳川家に送られた侍女も、
井伊直政様!キャー♪キャー♪
と黄色い声を上げました。
女性から絶大な支持を得ていた井伊直政。
でも、井伊直政を気に入っていたのは、女性だけではありません。
井伊直政の境遇は、家臣に祖父を殺され、また、幼くして父を失った徳川家康の境遇と似ていました。そのため、徳川家康は井伊直政を特に可愛がりました。
当時、正室や側室を抱えつつも、戦国武将は男色を好んでいたのが一般的。
徳川家康は珍しく男色を好みませんでしたが、井伊直政は例外。
自宅近くに井伊直政が泊まれるよう邸宅を建てさせ、徳川家康は度々呼び出しました。
井伊直政は徳川家康を襲った間者を討ち、徳川家康からますます寵愛されます。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、井伊直政は島津軍から銃撃され、足を負傷。
徳川家康は井伊直政を訪ね、自ら薬を塗ってあげました。
でも、徳川家康が薬を塗った相手は井伊直政だけ。
徳川家康にとって、井伊直政は息子を超える特別な存在だったのではないでしょうか。
まとめ:井伊直政は戦国時代のジャニーズ的存在だった!
徳川家康と井伊直政の関係、徳川家康の男色相手で寵童だったといわれる理由を紹介しました。
徳川家康と井伊直政は元々遠戚で、後に相舅となりました。
井伊直政はその容姿と気遣いで女性や男性を虜にし、特に可愛がられました。
徳川家康が井伊直政に夢中になるのも仕方がありませんね。
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