徳川家康と築山殿の馴れ初め、夫婦仲が悪化した3つの原因

徳川家康と正室・築山殿の夫婦仲は結婚当初から冷え切っていました。

何故、徳川家康と築山殿は結婚したのでしょうか。

徳川家康築山殿の馴れ初め、夫婦仲が悪化した4つの原因を紹介します。

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徳川家康と築山殿の馴れ初め

天文18年(1549年)に今川家の人質となり、8歳から19歳までの12年間を今川義元のもとで過ごした徳川家康。

徳川家康を自分の片腕にしようと、今川義元は徳川家康に家庭教師をつけて育てます。

そして、弘治元年(1557年)には、姪・築山殿と結婚させました。

築山殿は天文11年(1542年)の生まれで徳川家康と同い年。
今川家臣・関口氏純(親永)と今川義元の妹の間に誕生しました。

今川義元に可愛がられてきた築山殿は高飛車な性格。
徳川家康は尻に敷かれていましたが、人質であるという立場をわきまえて黙って従っていました。

夫婦仲が悪化した4つの原因

結婚当初から夫婦仲が良かったわけではありませんが、徳川家康と築山殿は長男・信康を授かりました。

「子どもが生まれると、夫婦仲は変わる」といいますが、徳川家康と築山殿の夫婦仲は悪化します。

徳川家康が築山殿と信康を今川家に置き去りにしたから

永禄3年(1560年)に勃発した桶狭間の戦いで、今川義元は織田信長に討たれました。

長年にわたって育ててくれた今川義元を失った徳川家康は気が動転。
大樹寺で自害を試みましたが、周囲に説得され思いとどまります。

そして、敵を討つべく、今川義元の息子・今川氏真に仕えることにしました。

ところが、今川氏真に敵を討つ様子がみられません。
それどころか、今川氏真は横暴に振る舞い、家臣から見放されていました。

そこで、徳川家康は今川家を離れて、織田信長、今川氏真と戦うと決心。

この時、築山殿と信康は今川家で暮らしていたため、二人は自然と人質になりました。

おゆう
おゆう

今川家から独立すれば、二人が危険にさらされることは徳川家康も分かっていたはず。

にも関わらず、徳川家康が今川家と戦う道を選んだため、築山殿の心は深く傷ついてしまいました。

徳川家康が今川家を離れたせいで両親を失ったから

夫婦仲は冷え切っていても、子どもは可愛いもの。
徳川家康は家族を取り戻そうと、今川家臣を捕らえて人質とし、築山殿、信康と交換しました。

この時、築山殿の両親・関口氏純(親永)とその妻は、築山殿と信康が徳川家に移れるよう尽力しました。
そのため、今川氏真の怒りを買い、築山殿の両親は自害することとなってしまいました。

徳川家康が叔父の敵・織田信長と同盟を結んだから

今川家から独立した徳川家康は、織田信長と今川氏真を相手に戦っていました。

でも、実際には、
・徳川家康は織田信長に攻め込まれることを
・織田信長は徳川家康に攻め込まれることを
恐れていました。

そこで、永禄5年(1562年)、利害が一致した徳川家康と織田信長は清洲同盟を結びました。

「夫が叔父を討った男と手を結ぶなんて」と、築山殿はショックを受けました。

更にこの5年後の永禄10年(1567年)5月には、信康と織田信長の長女・徳姫が結婚します。

築山殿に二人の結婚を反対されると思っていた徳川家康は、築山殿に相談しませんでした。
二人の結婚が決まり、引き返せない状況になってから、築山殿に事後報告をしたんです。

叔父を討った男と親戚になり、築山殿は岡崎城でその娘・徳姫と暮らすことになりました。
徳姫を見る度に、築山殿は憎しみが溢れたのではないでしょうか。

侍女が徳川家康の子どもを身ごもったから

永禄10年(1567年)6月、徳川家康は信康に岡崎城を任せます。

徳川家康自身はというと、築山殿を避けるように、一年の大半を浜松城で過ごすようになりました。

徳川家康は浜松城内で側室と会い、次々と子どもを授かりました。
そして、築山殿の侍女・お万までが徳川家康の子どもを身ごもります。

正室を差し置いて、侍女と関係をもった徳川家康と徳川家康の誘いに応じたお万に、築山殿は大激怒。
怒りを抑えきれなかった築山殿は、お万を裸にし、鞭を持って追いかけ回しました。

天正2年(1574年)、お万は無事に出産し、徳川家康の次男・結城秀康が誕生しました。

まとめ:若かりし徳川家康は女心が分からなかった…

徳川家康築山殿の馴れ初め、夫婦仲が悪化した4つの原因を紹介しました。

今川義元によって政略結婚することとなった徳川家康と築山殿。

築山殿の高飛車な性格も手伝って、結婚当初から夫婦仲は冷え切っていましたが、
① 徳川家康が今川家に家族を置き去りにしたこと
② 徳川家康のせいで、両親を失ったこと
③ 今川義元の敵・織田信長と手を組んだこと
④ 侍女との間に子どもを授かったこと
から、夫婦仲はますます険悪になってしまいました。

読書が趣味だったという徳川家康。
恋愛心理学に関する本を読んでいたら、築山殿との夫婦仲を改善できたかもしれません。

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