武田勝頼に内通した大岡弥四郎!信康と築山殿(瀬名)を殺した事件とは

今川家滅亡を機に、武田信玄、武田勝頼と戦うこととなった徳川家康。
でも、徳川家は武田家と比べて弱小で、武田家に寝返る徳川家臣も珍しくありませんでした。

大岡弥四郎もその一人。

徳川家康の家臣・大岡弥四郎は武田勝頼に内通し、
① 徳川家康の長男・信康
② 徳川家康の正室・築山殿(瀬名)
を死に追いやってしまいました。

武田勝頼内通した大岡弥四郎が起こした信康築山殿瀬名)を殺した事件を紹介します。

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武田勝頼に内通した大岡弥四郎

残念ながら、大岡弥四郎の生まれ年、両親の名前などは判っていません。

おゆう
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記録がないということは、
・大岡弥四郎が高貴な身分の出身ではなかった
・大岡弥四郎の先祖は特に大きな活躍をしなかった
のかもしれません。

大岡弥四郎は徳川家康に仕え、馬丁(馬の世話係)を務めます。
その後、徳川家康の信頼を得た大岡弥四郎は、徳川家康の長男・信康に仕え、町奉行を務めました。

大岡弥四郎は民政や算術に長けていました。

そのため、信康に仕えた後も徳川家康から頼りにされます。
大岡弥四郎は徳川家康の居城・浜松城と信康の居城・岡崎城を行き来しました。

ある日、大岡弥四郎は徳川家臣の鷹狩りにお供することになりました。

徳川家康は無類の鷹狩り好き。
時間を忘れて、鷹狩りに熱中してしまいます。

家臣が徳川家康を諫める中、大岡弥四郎は鷹狩りを続けることに賛成。
大岡弥四郎は徳川家康から更に厚い信頼を寄せられることとなりました。

おゆう
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でも、その裏で、大岡弥四郎は徳川家康と敵対する武田勝頼と内通していました。

信康と築山殿(瀬名)を殺した事件とは

武田勝頼と内通していた大岡弥四郎。

① 徳川家康が帰ってきたと嘘をついて、岡崎城を開門させる
② 武田軍が城を攻撃して占拠する
③ 岡崎城主・信康を殺す
④ 岡崎城に入る徳川家臣とその妻子を捕らえ、徳川家康を動揺させる
⑤ 徳川家康を討ち取る
「(上記のような作戦で)徳川氏を滅ぼす」と、大岡弥四郎は武田勝頼と相談していました。

徳川氏を滅ぼした後に、晴れて武田家臣となることで、安定した将来を手に入れたかったんです。

一方、徳川家の内情を知りたかった武田勝頼は歩き巫女を派遣。
徳川家康の正室・築山殿(瀬名)に「謀反が成功したら、信康を国主にする」と約束します。

徳川家康と夫婦仲の悪かった築山殿は武田勝頼の呼び掛けに応じました。

ところが、謀反は失敗します。
大岡弥四郎と共に謀反に参画していた山田八蔵が改心し、信康に全てを話したんです。

大岡弥四郎を信頼していた信康は、山田八蔵の話を信じられませんでした。

おゆう
おゆう

一方、徳川家康は信濃国に塩商人を送り、武田家の内情を探らせました。

大岡弥四郎が武田勝頼に内通していたと知った徳川家康は、別件で大岡弥四郎の自宅を家宅捜索。
武田勝頼の名前が記された書状を発見し、徳川家康は大岡弥四郎が裏切っていた証拠を手に入れました。

天正3年(1575年)、大岡弥四郎は浜松城下、岡崎城下を引き回されました。
その後、鋸引き(のこぎりびき)の刑に、妻子は磔(はりつけ)の刑に処されました。

大岡弥四郎の妻は二俣城主として武田信玄と戦った中根正照の娘。

中根正照は元亀3年(1573年)に討死していますが、あの世で、大岡弥四郎に娘を嫁がせたことを後悔しているのではないでしょうか。

徳川家康は大岡弥四郎の裏切りを一家臣の裏切りとして捉え、大事にしませんでした。

でも、大岡弥四郎と妻子が処刑されても、大岡弥四郎が裏切った影響は止まりません。
大岡弥四郎の裏切りを利用して、信康と築山殿を恨んでいた徳姫が行動に出ます。

清洲同盟を結んだ徳川家康と織田信長は、信康と織田信長の長女・徳姫を結婚させました。

二人は二人の娘を授かりましたが、築山殿は跡継ぎを授からないことに不満を抱きます。

築山殿は徳姫に断りなく側室を用意し、信康は側室を寵愛。
夫婦仲に亀裂が入ってしまいました。

信康と築山殿を恨んだ徳姫は、信康と築山殿の悪行を探すようになりました。

おゆう
おゆう

徳川家康が大事にしなくても、松平信康の正室である徳姫に大岡弥四郎の裏切りを隠し通すことはできません。

天正7年(1579年)、信康と築山殿が武田家と通じていたとして、徳姫は織田信長に告げ口。
織田信長は信康と築山殿の処遇を徳川家康に任せ、徳川家康は信康に切腹を言い渡し、築山殿を殺しました。

まとめ:大岡弥四郎事件は信康と築山殿を巻き込んだ!

武田勝頼内通した大岡弥四郎が起こした信康築山殿瀬名)を殺した事件を紹介しました。

徳川家康・信康親子から厚い信頼を寄せられていた大岡弥四郎。
でも、その裏では、武田勝頼に内通し、徳川氏を滅ぼそうと考えていました。

家臣に裏切られたうえに、長男と正室を失うこととなった徳川家康の怒りはどれほどだったのでしょうか。

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