武将、楠木正成

南北朝時代

大楠公・楠木正成の長男は小楠公!楠木正行の逸話

「大楠公」と呼ばれる楠木正成に対して、長男・正行は「小楠公」という尊称で親しまれています。楠木正行が親しまれる理由は、武将としての軍事的才能だけではありません。楠木正行の逸話を紹介します。
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楠木正行が連勝した隅田城の戦い、藤井寺・教興寺の戦い、住吉・天王寺の戦い

楠木正成の長男・正行が北朝方に勝利を重ねた隅田城の戦い(VS 隅田氏)、藤井寺・教興寺の戦い(VS 細川顕氏)、住吉・天王寺の戦い(VS 細川顕氏・山名時氏)を紹介します。
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楠木正行・正時と高師直の四條畷の戦いの経緯と経過、結果

軍師・楠木正成の血を継ぐ正行・正時兄弟。北畠顕家を滅ぼした足利尊氏の側近・高師直。楠木正行・正時と高師直の四條畷の戦いの経緯と経過、結果を紹介します。
南北朝時代

楠木正成の菩提寺・観心寺の歴史と見どころ、アクセス

大阪府南部にある河内長野市は「ちかくて、ふかい 奥河内」として、日本人はもちろん、外国人にも人気です。その河内長野市で最も有名な観光スポットが観心寺。楠木正成の菩提寺・観心寺の歴史と見どころ、アクセスを紹介します。
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楠木正成に呼応して備後国で挙兵した桜山四郎入道の出自と自害した理由

元徳3年(1331年)に勃発した元弘の乱。元弘の乱の主な舞台は近畿ですが、備後国で挙兵した桜山四郎入道という武将がいました。楠木正成に呼応して備後国で挙兵した桜山四郎入道の出自と自害した理由を紹介します。
南北朝時代

湊川の戦いはどこで行われた?楠木正成はなぜ負けた?

赤坂城の戦いと千早城の戦いで、鎌倉幕府を相手に奮戦した楠木正成。「軍神」とも呼ばれる楠木正成が負けて、弟と一緒に自害したのが湊川の戦いです。湊川の戦いが行われた場所、楠木正成が負けた理由を紹介します。
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奇策がキラリ!楠木正成が湯浅定仏から赤坂城を奪還した経緯

赤坂城の戦いで幕府軍に敗北し、自害したように見せかけて落ち延びた楠木正成と護良親王。楠木正成がまず行いたかったのは、幕府軍に奪われた赤坂城を取り戻すことです。楠木正成が湯浅定仏から赤坂城を奪還した経緯を紹介します。
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建武の新政で楠木正成が大出世し、すぐに役職を辞職した理由

建武の新政が始まると、楠木正成は多くの役職に任命されますが、間もなく辞職しました。建武の新政における楠木正成の大出世、楠木正成がすぐに役職を辞職した理由を紹介します。
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楠木正成が千早城の戦いで鎌倉幕府軍を苦しめた奇策とは?

赤坂城の戦いで次々と奇策を講じて、鎌倉幕府軍を苦した楠木正成。後醍醐天皇が勢力を盛り返すきっかけになった千早城の戦いでも、楠木正成の奇策がさく裂しました。千早城の戦いの概要、楠木正成がとった奇策を紹介します。