【唐】則天武后(武則天)が高宗の妻になった経緯は?媚娘とチヌの年の差

則天武后は唐の第3代皇帝・高宗(李治)の妻ですが、元は第2代皇帝・太宗(李世民)の側室でした。
何故、則天武后は太宗の側室から高宗の妻になったのでしょうか。

おゆう
ゆこ

当時、宮廷には「媚娘(メイニャン)」、「チヌ」と呼び合う男女がいました。

媚娘とチヌはどのような人物なのでしょうか。

則天武后武則天)が高宗になった経緯媚娘チヌ正体年の差を紹介します。

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則天武后が高宗の妻になった経緯は?

どのような経緯で、則天武后は高宗の妻になったのでしょうか。

太宗の側室になる

太宗の妻・長孫皇后が亡くなった後、則天武后は14歳の若さで宮廷入りしました。

則天武后
則天武后

則天武后は宮廷入りしてすぐに太宗の寵愛を受けます。
でも、しばらくすると寵愛は薄れて遠ざけられてしまいました。

則天武后が宮廷入りして12年が経った頃、太宗は病気で伏せりがちになります。

皇帝の子供を授からなかった后妃は、皇帝が崩御したら出家して尼にならなければいけません。
太宗との間に子供を授からなかった則天武后には、出家の運命が待ち構えていました。

則天武后はまだ26歳。
身の回りのお世話をする宦官にお金を渡して、出家せずに済む方法を探していました。

高宗と恋に落ちる

出家せずに済む方法を探していた則天武后。

則天武后
則天武后

宦官から、
① 陛下が崩御したら、皇太子・李治(後の高宗)が皇帝になる
② 皇太子が陛下のお見舞いに来る
という情報を入手します。

長孫皇后が産んだ第一子・李承乾と第四子・李泰は後継者争いを起こして都を去りました。

宮廷に残った皇子のうち、長孫皇后が産んだのは李治ただ一人。
皇太子に冊立された李治は、太宗の正当な後継者でした。

則天武后は「陛下の看病をしたい」と手を挙げます。
そして、着飾って太宗を看病する后妃が多い中、懐の寒い則天武后は着飾らずに看病しました。

着飾らずに看病する則天武后の姿は献身的。
太宗のお見舞いにやってきた李治は目を奪われます。

人目を忍んで、二人は熱い視線を交わし、恋に落ちました。

出家中に妊娠する

太宗が崩御した後、則天武后は感業寺に出家しました。
皇帝になった高宗は「父の供養をする」と言ってお寺に通い、二人は愛を育みました。

やがて、則天武后は妊娠し、第一子・李弘を出産します。

当時、宮廷では高宗の妻・王皇后と蕭淑妃が寵愛争い、皇太子争いをしていました。

二人に則天武后と子どもの存在を打ち明けるのは、火に油を注ぐようなもの。
高宗は則天武后の存在を打ち明けられずにいました。

高宗の妻になる

高宗が王皇后と蕭淑妃を恐れていても、則天武后と李弘をお寺に置いておくわけにはいきません。
高宗は則天武后と子どもの存在を打ち明けました。

すると、王皇后は則天武后を宮廷入りさせるように言いました。

おゆう
ゆこ

則天武后を利用して、高宗の蕭淑妃への寵愛を薄れさせようとしたんです。

ところが、則天武后に夢中な高宗は、蕭淑妃はもちろん、王皇后も寵愛しなくなりました。

こうして、王皇后に代わって、則天武后が皇后になりました。

媚娘とチヌって誰?

則天武后の本名は武照、高宗の本名は李治ですが、二人には幼少期のあだ名があります。

則天武后
則天武后

・則天武后の幼少期のあだ名は媚娘(メイニャン)

・高宗の幼少期のあだ名はチヌ

です。

朝廷では「皇后」、「陛下」と呼び合っていた則天武后と高宗。
朝廷を出て二人きりになると、お互いをあだ名で呼び合いました。

子どもを授かると、お互いを「お母さん」、「お父さん」と呼び合う夫婦が少なくありません。

名前どころか、幼少期のあだ名で呼び合う。
則天武后と高宗がとても仲のいい夫婦だったことがわかりますね。

年の差

紹介したように、則天武后は高宗の父・太宗の側室でした。

ゆこ
ゆこ

則天武后と高宗の年の差が気になりますよね。

則天武后は624年生まれで、高宗は628年生まれ。
つまり、二人の年の差はわずか4歳となります。

太宗にとって、高宗は第9子。
則天武后は太宗・高宗親子に嫁ぎましたが、高宗とは年の差婚ではなかったんですね。

まとめ:則天武后と高宗はオン・オフの切り替えができる夫婦

則天武后武則天)が高宗になった経緯媚娘チヌ正体年の差を紹介しました。

高宗の妻になる前は太宗の側室だった則天武后。
太宗が崩御した後、出家したお寺で高宗と密会を重ね、懐妊、出産しました。
王皇后や蕭淑妃に対する寵愛は薄れ、則天武后が高宗の寵愛を独占。
王皇后に代わって、則天武后が皇后に冊立されました。

悪女として知られる則天武后。
二人の恋物語を知ると、則天武后の違った一面が垣間見られるのではないでしょうか。

中国史上唯一の女帝である則天武后(武則天)。
中国時代劇を見て、則天武后に興味をもった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
則天武后について知りたい方は、氣賀澤保規著「則天武后」がおすすめ。

史実に基づいて、則天武后の生涯、それを取り巻くあらゆる側面を書いた学術本です。
則天武后の心理状態が適度に描写され、小説のようにスラスラ読めます。
ぜひ一度、「則天武后」を読んでみてください。

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