徳川家康と武田信玄の二俣城の戦いの経緯と経過、与えた影響

徳川家康と武田信玄は元亀3年(1572年)10月から元亀4年(1573年)2月にかけて、
① 一言坂の戦い
② 二俣城の戦い
③ 三方ヶ原の戦い
④ 野田城の戦い
という4つの戦いを繰り広げました。

この4つの戦いの中で、武田信玄が最も苦戦したのが二俣城の戦いです。

徳川家康と武田信玄二俣城の戦い経緯経過与えた影響を紹介します。

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二俣城の戦いとは?

二俣城の戦いとは、元亀3年(1572年)10月16日から、徳川家康・武田信玄間で行われた戦いを指します。
この3日前の13日に行われた一言坂の戦いの続きです。

二俣城の戦いの経緯

犬居城主・天野景貫の開城により、犬居城を手に入れた武田信玄。
武田信玄は馬場信春に5000人の兵を与えて、二俣城の北に位置する只来城を陥落させました。

武田信玄自身は2万2000の兵を率いて、
・二俣城の北東に位置する天方城
・東に位置する飯田城
・南東に位置する各和城
・南に位置する勾坂城
を攻め落としました。
何故、武田信玄は私達に馴染みのない城を攻め落としたのでしょうか。

武田信玄が二俣城を陥落させるにあたって、攻め落としておかなければいけない城だったからです。

この4つの城は、規模の比較的大きな掛川城と浜松城の間にありました。

もし、武田軍が二俣城を攻めている間に、掛川城や浜松城から徳川軍がやって来たら、武田軍は挟み撃ちに遭ってしまいます。

そこで、掛川城と浜松城の連絡網を遮断し、
・徳川家康が援軍を送られないように
・武田軍の食糧や武器の補給ルートを確保できるように

しました。

こうして戦いの準備を整えた武田信玄は二俣城に進軍しました。

二俣城の戦いの経過

只来城を陥落させた馬場信春は5000人の兵を率いて武田信玄と合流。
武田信玄が率いていた2万2000人の兵に、馬場信春の5000人の兵が加わります。
総勢2万7000人で二俣城を攻めることになりました。

おゆう
おゆう

ところが、二俣城に到着した武田信玄は地形を見てビックリします。

二俣城は一級河川である天竜川と二俣川に挟まれていました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

城には、敵の侵入を防ぐために堀がありますよね。
二俣城は天竜川と二俣川を天然の堀として活用していたんです。

二俣城代・中根正照、副城代・青木貞治が率いる兵はわずか1200人。

2万7000人もの兵を率いる武田信玄は二俣城に突入する予定でした。
でも、二俣城に侵入するには、天竜川や二俣川を渡らなければいけないため、攻撃を仕掛けるのは困難でした。

そこで、武田信玄は中根正照に降伏して開城するよう呼びかけます。
ところが、中根正照は武田信玄の要求を受け入れず、籠城することにしました。

天竜川と二俣城を天然の堀として活用している二俣城に近付くには、北東に位置する大手口を進むしかありませんでした。
大手口は急な坂道で、中根軍が上から攻撃すると武田軍は避けきれません。

侍大将・小宮山昌友は討死。
山県昌景が合流しても進展がなく、武田信玄が二俣城への攻撃を開始してから1ヶ月半が経ってしまいました。

手をこまねいている武田信玄に、馬場信春と山県昌景は水の手を絶ってはどうかと提案しました。

天竜川と二俣城に挟まれている二俣城では、井楼を使って、天竜川から水をくみ上げて補給していました。
つまり、二俣城には井戸がなかったんです。

武田信玄は急いで大きな筏を作らせ、天竜川の上流から流して、井楼に筏をぶつけて破壊しました。

万が一の事態に備えて、二俣城では雨水を貯めていました。
でも、1200人の量には足りず、12月19日、中根正照はついに降伏して開城しました。

開城するなり、中根正照は浜松城に報告しに向かいます。
そのため、二俣城に保管していた鉄砲や弾薬は武田信玄の手に渡ることとなりました。

二俣城の戦いが与えた影響

徳川家康は一言坂の戦い、二俣城の戦いと2戦連続で敗北し、権威は失墜

飯尾氏、神尾氏、奥山氏、天野氏、貫名氏などの地侍(どの軍にも属していない武士)は、
・徳川家康に付こうか
・武田信玄に付こうか
と形勢をうかがっていましたが、武田信玄に付くと決めました。

武田信玄と主従関係を結んだ地侍は、以降武田信玄の家臣として活躍しました。

まとめ:二俣城の戦いは地侍に大きな影響を与えていた!

徳川家康と武田信玄二俣城の戦い経緯経過与えた影響を紹介しました。

二俣城の兵1200人に対し、武田信玄は2万7000人もの兵を率いていました。
でも、二俣城に攻撃をなかなか仕掛けられず、二俣城を手に入れるのに2ヶ月以上かかってしまいました。

この後、武田信玄は持病が悪化して喀血(かっけつ)するようになります。
死期が近いと悟っていた武田信玄としては、一刻も早く、二俣城を落としたかったのではないでしょうか。

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