徳川家康とお市の方の関係、織田信長の策略によって浮上した結婚話

たぬき親父の代名詞である徳川家康と「天下一の美人」と称されたお市の方。
織田信長が仲をとりもったことで、二人は恋に落ち、結婚の話までもちあがったといわれています。

徳川家康お市の方関係織田信長の策略によって浮上した結婚話を紹介します。

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徳川家康とお市の方の関係は?

皆様ご存じのとおり、徳川家康とお市の方は結婚しませんでした。

では、二人はどのような関係だったのでしょうか。

簡単にいうと、徳川家康とお市の方の関係は幼馴染みであり、親戚です。

幼馴染み

今川家で人質生活を送る前、徳川家康は織田家で人質生活を送っていました。

徳川家康が織田家で人質生活を送ったのは、天文16年(1547年)から天文17年(1548年)までの2年間。
この間、徳川家康と織田信長は交流があったといわれています。

織田信長の妹・お市の方が生まれたのは、徳川家康が織田家の人質となった天文16年(1547年)。

お市の方は織田信秀の継室・土田御前が産んだ最初の娘で、織田信長にとって同母妹です。

・織田家で特に大切に育てられたお市の方と人質である徳川家康にどのような接点があったのか
・当時5歳だった徳川家康と生まれたてのお市の方の間に接する機会があったのか
と考えると、徳川家康とお市の方の関係を幼馴染みと位置づけるのは言い過ぎかもしれません。

でも、同じ織田家で2年間過ごしたことに変わりはありません。

今川家から独立した徳川家康がお市の方との再会を懐かしむシーンを描いたドラマや小説が多くあります。
私達が想像する以上の接点はあったのではないでしょうか。

親戚

お市の方が浅井長政と結婚し、茶々、初、江(ごう)の浅井三姉妹を授かったのは有名ですよね。

文禄4年(1595年)、徳川家康の三男・徳川秀忠は江(ごう)を継室に迎えました。
つまり、徳川家康とお市の方の関係は相舅(あいやけ)となります。

永禄6年(1563年)には、徳川家康の長男・信康と織田信長の長女・徳姫が結婚しています。
つまり、徳川家康は織田信長とも相舅の関係となります。

徳川秀忠と江の間には、江戸幕府第3代将軍・徳川家光を含む2人の息子、5人の娘が誕生しました。

お市の方は天正11年(1583年)に36歳の若さで亡くなります。
そのため、徳川秀忠に嫁ぐ江の花嫁姿はもちろん、江が産んだ7人の孫の顔を見ることはできませんでした。

一方、徳川家康は元和2年(1616年)まで生き、江が産んだ7人の孫全員と対面しました。
孫の成長を見守りながら、徳川家康はお市の方に思いを馳せたかもしれませんね。

徳川家康とお市の方は織田信長の策略で結婚する予定だった?

弘治3年(1557年)に、徳川家康は築山殿と結婚しましたが、夫婦仲は最初から良くありませんでした。

① 永禄2年(1559年)に長男・信康
② 永禄3年(1560年)に長女・亀姫
が誕生しましたが、桶狭間の戦いの後、徳川家康が今川家を離反し、夫婦仲は修復不能な状態に陥りました。

永禄10年(1567年)、もしくは、永禄11年(1568年)に、お市の方は北近江の浅井長政と結婚しました。

お市の方と浅井長政の夫婦仲は良く、浅井長政と死別した後、お市の方は再婚を断り続けました。

おゆう
おゆう

・徳川家康と築山殿
・お市の方と浅井長政
どちらも政略結婚だったのに大違い。

ところが、徳川家臣・松平家忠の「家忠日記」によると、徳川家康とお市の方の間に結婚話がもちあがっていたというんです。

織田信長が徳川家康とお市の方を娶せた

「家忠日記」に「天正10年(1582年)5月に、織田信長が徳川家康とお市の方を娶(めあわ)せた」という記録が残っています。

坊っちゃん
坊っちゃん

天正10年(1582年)5月といえば、本能寺の変が起きる一ヶ月前です。

永禄5年(1562年)、徳川家康と織田信長は清洲同盟を結びました。

その5年後、
① 徳川家康の長男・信康
② 織田信長の長女・徳姫
を結婚させて、徳川家と織田家は姻戚関係を築き、同盟を強化
しました。

ところが、天正7年(1579年)、徳姫の12ヶ条にわたる訴えにより、信康と徳姫は離縁しました。
つまり、この時、徳川家と織田家の姻戚関係は解消されていたんです。

徳川信康と徳姫が離縁するきっかけをつくった築山殿は殺されたため、徳川家康には正室がいませんでした。
また、お市の方は天正元年(1573年)に浅井長政を失ったため、夫がいませんでした。

おゆう
おゆう

徳川家と姻戚関係を再び築きたかった織田信長。
独り身になった徳川家康とお市の方を結婚させたかったのかもしれません。

織田信長から徳川家康の相手をするよう言われたお市の方は、徳川家康の寝室に忍び込みました。
徳川家康とお市の方は結婚しませんでしたが、二人の間に何かがあったことに違いはないと思います。

お市の方が徳川家康に贈り物をした

更に、「家忠日記」には、「天正10年(1582年)12月に、既に柴田勝家の妻となっていたお市の方が徳川家康に贈り物をした」という記録が残っています。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

天正10年(1582年)12月といえば、柴田勝家とお市の方が婚儀を行った4ヶ月後。

天正11年(1583年)に勃発した賤ヶ岳の戦いで、お市の方は敗れた柴田勝家と自害する道を選択しました。

お市の方と柴田勝家の夫婦仲は決して悪くありませんでした。
ただ、お市の方は徳川家康を忘れられなかったのかもしれませんね。

まとめ:徳川家康とお市の方の間には何かがあった!

徳川家康お市の方関係織田信長の策略によって浮上した結婚話を紹介しました。

徳川家康とお市の方は結婚しなかったものの、
・政略結婚した者
・配偶者に先立たれた者
同士、お互いに惹かれ合っていたのかもしれません。

もし、織田信長の策略により、徳川家康とお市の方が結婚していたら、
・織田信長と徳川家康の力関係
・豊臣秀吉と徳川家康の力関係
は全く異なるものになって、歴史も大きく変わっていたのではないでしょうか。

大河ドラマ「どうする家康」をもっと楽しむなら、こちらのガイドブックがオススメです。

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