徳川四天王の中で、最も古い徳川家臣である酒井忠次。
実は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍が武田軍に勝利した裏には、酒井忠次の活躍がありました。
徳川四天王・酒井忠次の生涯と徳川家康との意外な関係、長篠の戦いにおける功績を紹介します。
徳川四天王・酒井忠次の生涯
酒井忠次は大永7年(1527年)生まれで、代々松平家に仕える酒井忠親の次男として誕生しました。
今川家で徳川家康と共に過ごす
徳川家康が今川家で人質として生活を送ることになると、酒井忠次は徳川家康に付き添いました。
弘治2年(1556年)、織田家臣・柴田勝家が2000人の兵を率いて、居城・福谷城を攻撃。
酒井忠次は自ら城外に出て戦い、柴田軍を退却させて、城を守り抜きました。
徳川家の家老となる
桶狭間の戦いを経て、徳川家康が今川家から独立すると、酒井忠次は徳川家の家老に。
徳川家康から厚い信頼を寄せられます。
永禄6年(1563年)の三河一向一揆では、酒井家が一揆衆に加わり中、酒井忠次は徳川家康に従いました。
吉田城主となる
今川義元の跡を継いだ今川氏真には求心力がなく、家臣が次々と離反し、今川軍は混乱に陥っていました。
永禄7年(1564年)、酒井忠次は今川家臣・小原鎮実が城代を務める吉田城に向かいます。
そして、今川軍の混乱を利用して、小原鎮実を城から撤退させ、無血開城に成功しました。
吉田城を奪還したことにより、今川氏は三河の支配権を失いました。
功績を称えられた酒井忠次は吉田城主に任命されました。
数々の戦で手柄をあげる
吉田城主として城を守りながら、
① 姉川の戦いでは、小笠原信興と共に朝倉軍に突入する
② 三方ヶ原の戦いでは、武田家臣・小山田信茂と激突する
③ 長篠の戦いでは、勝頼の叔父・河窪信実を討ち取る
④ 小牧・長久手の戦いでは、豊臣家臣・森長可を敗走させる
など、徳川家康の人生を代表する戦に参加し、手柄をあげました。
70歳で亡くなる
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの後、酒井忠次と共に家老を務めていた石川数正が出奔。
酒井忠次は徳川家康の第一の重臣となりました。
ところが、眼病を患い、次第に視力が悪化。
天正16年(1588年)10月、高齢と病を理由に、長男・酒井家次に家督を譲り隠居しました。
晩年は豊臣秀吉から与えられた京都の屋敷で過ごし、慶長元年(1596年)、70歳で亡くなりました。
徳川家康との意外な関係
徳川四天王の筆頭として知られる酒井忠次。
実は、酒井忠次と徳川家康の関係は、家臣・主君という主従関係だけではありません。
酒井忠次の正室は、徳川家康の叔母・碓井姫(うすいひめ)です。
碓井姫は長沢松平家7代目当主・松平政忠と結婚していましたが、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで討死。
徳川家康のとりなしにより、酒井忠次は未亡人となった碓井姫を正室に迎えました。
長篠の戦いにおける功績
天正3年(1575年)5月21日に、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼の間で勃発した長篠の戦い。
武田軍は鳶ヶ巣山砦に陣を張り、長篠城を包囲していました。
戦が始まる前日の20日、織田軍と徳川軍は作戦会議を開きました。
① 標高の高い鳶ヶ巣山砦から長篠城の状況を把握できる
② 馬防柵から鉄砲を撃つには、武田軍をできるだけ近くにおびき出す必要がある
ことから、「鳶ヶ巣山砦を夜襲してはどうか」と申し出ました。
夜襲に成功すれば、
① 長篠城の包囲網を解除する
② 武田軍を混乱に陥らせる
ことができます。
皆の前で、ひどい言葉を浴びせられた酒井忠次は恥ずかしくて、何も言い返せませんでした。
それから数時間後、織田信長は酒井忠次を呼び出し、
あの場に武田勝頼の間者がいたらと、万が一の事態を警戒してあのように言わざるを得なかった…
と言って、酒井忠次の申し出を採用。
織田信長は酒井忠次に鉄砲隊を預け、鳶ヶ巣山砦を夜襲するよう命じました。
徳川家康と清州同盟を結んでいる、また、姻戚関係にあるとはいえ、織田信長が他の武将の家臣に自分の兵を預けるなんてなかなか見かけないこと。
織田信長が酒井忠次の申し出た作戦に感銘を受けていたことがよく分かります。
酒井忠次は作戦通りに事を運び、武田勝頼軍を混乱に陥らせて、織田信長の期待に応えました。
武田勝頼の叔父・河窪信実をも討ち、次々と手柄をあげた酒井忠次。
織田信長から「背中にも目があるようだ」と評価されました。
その翌日、織田・徳川連合軍は武田勝頼軍を撃破し、長篠の戦いで勝利しました。
まとめ:酒井忠次は三英傑に愛された!
徳川四天王・酒井忠次の生涯と徳川家康との意外な関係、長篠の戦いにおける功績を紹介しました。
徳川家康はもちろん、織田信長、豊臣秀吉からも厚い信頼を寄せられていた酒井忠次。
徳川四天王の中で、最も早く生まれたため、他の3人とは生きる時代が少し異なりますが、徳川家康の天下統一に大きく貢献したことに違いはありません。
酒井忠次が徳川四天王に数えられる理由が分かりますね。
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