今川氏真と正室・早川殿の夫婦仲は?二人揃って長生きだった!

武田信玄や徳川家康、北条氏政に追われ、各地を転々とすることになった今川氏真。
正室・早川殿は不平不満を言わず、今川氏真と人生を共に歩みました。

今川氏真正室早川殿夫婦仲徳川家康の拠点・浜松を去った後の二人を紹介します。

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今川氏真と正室・早川殿の夫婦仲は?

今川氏真と早川殿が結婚したのは、天文23年(1554年)7月。

当時、
① 甲斐国を治めていた武田信玄
② 相模国を治めていた北条氏康
③ 駿河国を治めていた今川義元
の三者間で、甲相駿三国同盟を結び、和平を保つこととなりました。

同盟を結ぶ条件として、子どもを同盟相手やその子どもに嫁がせ、姻戚関係を築くのが一般的。

北条氏康は娘・早川殿を、今川義元の長男・今川氏真に嫁がせました。

おゆう
おゆう

つまり、今川氏真と早川殿は政略結婚だったんですね。

政略結婚といえば、
① 徳川家康・築山殿夫婦
② 徳川家康の長男・信康・織田信長の長女・徳姫夫婦
などがいます。

徳川家康・築山殿夫婦は結婚当初から仲が悪く、年々悪化したといわれています。

また、信康・徳姫夫婦は築山殿の介入により、仲が悪くなったといわれています。
最終的には、築山殿が殺され、信康が自害に追い込まれるという事態にまで発展しました。

では、同じく政略結婚だった今川氏真と早川殿の夫婦仲はどうだったのでしょうか?

永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで、今川義元が討たれ、今川氏真は跡を継ぎました。
でも、今川氏真に求心力はなく、家臣が次々と離反していきます。

おまけに、徳川家康や武田信玄が駿河国に攻め込み、 今川氏真は領地をどんどん失っていきます。

永禄11年(1568年)、今川氏真は駿河国を脱出し、家臣・朝比奈泰朝が城主を務める掛川城に駆け込みました。

おゆう
おゆう

この時、早川殿は歩いて掛川城へ移動することになりました。

領土を失っていたとはいえ、一国の主が妻の乗り物を用意できないなんて…
プライドの高いお姫様だったら、実家に帰って離縁します。

でも、早川殿は今川氏真を見捨てませんでした。
その後、早川殿の実家である戸倉城に身を寄せ、小田原に移り住みます。

元亀元年(1570年)、待望の長男・今川範以が誕生。

落ち着いた生活をようやく送れる…

思った矢先、北条氏康が亡くなります。

そして、跡を継いだ早川殿の弟・北条氏政によって、今川氏真は命を狙われることとなりました。
早川殿は知り合いに頼んで船を造り、小田原を離れました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

行くあてを失った今川氏真と早川殿。
今川氏真は徳川家康と和解し、徳川家臣となって浜松へ移り住みました。

その後、
① 次男・品川高久
② 三男・西尾安信
③ 四男・澄存
を授かります。

でも、北条氏政に続いて、武田家からも命を狙われることとなり、今川氏真と早川殿は浜松を離れました。

二人揃って長生きだった!

浜松を離れても、今川氏真は徳川家臣。
愛知、近江、京都へと、浜松から西へ向かった後、慶長17年(1612年)には、江戸へ移り住みました。

翌年、慶長18年(1613年)に早川殿は75歳で亡くなります。
その2年後の慶長20年(1615年)、今川氏真が77歳で亡くなりました。

二人は今川家の菩提寺・観泉寺に葬られました。

長生きした戦国武将として、徳川家康がよく取り上げられますが、徳川家康は75歳で亡くなりました。
早川殿は徳川家康と同じ75年生き、今川氏真は徳川家康より2年も長く生きたんですね。

まとめ:今川氏真が人生を謳歌できたのは早川殿のおかげ

今川氏真正室早川殿夫婦仲徳川家康の拠点・浜松を去った後の二人を紹介しました。

甲相駿三国同盟で政略結婚した、他の2組の夫婦仲はどうだったのでしょうか。

武田義信(武田信玄の長男)・嶺松院(今川義元の娘)夫婦は、永禄8年(1565年)に離縁しました。
また、北条氏政・黄梅院(武田信玄の娘)夫婦は、永禄11年(1568年)に離縁しました。

政略結婚した夫婦は仲が悪い印象がありますが、今川氏真・早川殿夫婦は珍しいおしどり夫婦だったんですね。

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