武田信玄が駿河侵攻を行った背景と徳川家康と同盟(密約)を結んだ理由

戦国最強と呼ばれる武田軍を率いていた武田信玄は、今川氏真の支配する駿河国への侵攻にあたって、徳川家康と同盟を結びました。

武田信玄駿河侵攻を行った背景徳川家康同盟密約)を結んだ理由を紹介します。

スポンサーリンク

武田信玄が駿河侵攻を行った背景

永禄3年(1560年)に勃発した桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれると、今川義元の長男・今川氏真が跡を継いで、今川氏12代当主となりました。

今川氏真には今川義元のような求心力がなく、徳川家康をはじめ、多くの今川家臣が今川氏真のもとを離れていきました。

おゆう
おゆう

東海地方最大の戦国大名だった今川氏はあっという間に衰退。

今川氏の力が弱まった今がチャンスだと考えた甲斐国の武田信玄は、今川氏の支配する駿河国と遠江国を獲得しようと、今川領への侵攻を開始しました。

武田信玄が徳川家康と同盟(密約)を結んだ理由

永禄11年(1568年)12月に駿河侵攻を開始しますが、侵攻開始直前に、武田信玄は徳川家康に同盟を申し出ました。

徳川家康は申し出を承諾し、武田信玄は徳川家康と次のような同盟を結びました。

① 今川氏を協力して滅ぼす
② 今川氏を滅ぼした暁には、大井川を境に、武田氏が東部を、徳川氏が西部を得る

ところで、武田軍は戦国最強と呼ばれていました。

戦国最強の武田軍をもってすれば、弱体化した今川氏を滅ぼすなんて簡単なこと。
徳川家康は織田信長と清州同盟を結んでいたとはいえ、武田信玄に比べれば弱小大名でした。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

何故、武田信玄は徳川家康と同盟を結んだのでしょうか。

その理由は3つ考えられます。

今川氏を一刻も早く滅ぼすため

天文23年(1554年)、甲斐国を治めていた武田信玄、相模国を治めていた北条氏康、駿河国を治めていた今川義元の三者間で、甲相駿三国同盟を結びました。
今川義元は娘・嶺松院を武田信玄の長男・武田義信に嫁がせ、姻戚関係を築き、同盟を強化しました。

駿河侵攻開始前、今川氏を滅ぼすと決めた武田信玄は今川氏に嶺松院を帰し、親今川派の武田義信を自害させました。

今川氏に嶺松院を帰した時点で、武田信玄の真意は今川氏真に伝わります。
そのため、武田信玄は一刻も早く今川氏真を討ち、今川氏を滅ぼしたかったんです。

徳川氏と北条氏から挟み撃ちされるリスクを回避するため

紹介したように、武田信玄、北条氏康、今川義元は甲相駿三国同盟を結んでいました。
今川義元が娘・嶺松院を武田信玄の長男・武田義信に嫁がせていたように、北条氏康は娘・早川殿を今川氏真に嫁がせていました。

今川氏真は北条氏康にとって義理の息子であり、大切な娘を預けている相手。
武田信玄が駿河侵攻を開始すれば、北条氏康から同盟破棄を咎められ、攻撃を受ける可能性がありました。

今川領である駿河国、遠江国は、北条氏康の支配する相模国と徳川家康の支配する三河国に挟まれています。
駿河を侵攻している真っ最中に、東西から挟み撃ちにされたら、戦国最強と呼ばれる武田軍であっても負けてしまうかもしれません。

そのため、利害が一致しやすかった徳川家康に同盟を申し出たんです。

徳川家康を討って遠江国を手に入れるため

武田信玄は徳川家康と同盟を結びましたが、駿河国を手に入れた後に徳川家康を討ち、遠江国を手に入れるつもりでした。

というのも、武田信玄は遠江国にある掛塚港を支配下に置きたかったからです。

現在の愛知県にあたる尾張国を支配していた織田信長は鉛や硝石など、鉄砲を使うのに必要な材料を堺から仕入れていました。

一方、武田氏の支配する甲斐国は現在の山梨県にあたります。
山梨県には海がなく、堺から材料を仕入れることのできなかった武田信玄は国内の神社に、「鉄砲に使用する銅を集めているので、賽銭箱の中から銅銭を納めるように」と命じていました。

武田信玄は堺から材料を仕入れるのに便利な港を手に入れたいと考えていました。

坊っちゃん
坊っちゃん

駿河国にある港を使って、堺から材料を仕入れたらいいんじゃないの?
何故、遠江国にある掛塚港じゃなきゃいけないの?

駿河国は太平洋に面しているため、駿河国を手に入れれば港は手に入ります。

でも、駿河国から伊勢湾まで船で渡るためには、御前崎(静岡県御前崎市)を回って、遠州灘を抜けなければいけません。
遠州灘は南からの強風にさらされる難所。
遠州灘で遭難する万が一の事態に備えて、寄港地を確保する必要がありました。

おゆう
おゆう

その寄港地の最有力候補が天竜川の河口にある掛塚港だったんです。

掛塚港は遠江国の一部だったので、徳川家康が遠江国を手に入れたら、一時的に徳川家康が支配することとなります。

でも、武田信玄には徳川家康を討つ自信がありました。

徳川家康と同盟を結び、徳川氏と北条氏から挟み撃ちされるリスクを回避して、今川氏を滅ぼす。
駿河侵攻を成功させたら、徳川家康を討って遠江国を手に入れる。

武田信玄はこのようなストーリーを思い描いて、徳川家康と同盟を結んでいたんですね。

まとめ

武田信玄駿河侵攻を行った背景徳川家康同盟密約)を結んだ理由を紹介しました。

太平洋に面した港を手に入れたかった武田信玄は、駿河国、遠江国を支配する今川氏の衰退に注目し、駿河侵攻を決めました。
徳川氏と北条氏から挟み撃ちされるリスクを回避するために、武田信玄は徳川家康と同盟を結びましたが、駿河国を手に入れた後には、徳川家康を討って遠江国を手に入れるつもりでした。

武田信玄は徳川家康に負けず劣らずの狸親父だったのかもしれませんね。

大河ドラマ「どうする家康」をもっと楽しむなら、こちらのガイドブックがオススメです。


=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しているので、もし良ければクリックで応援をお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

タイトルとURLをコピーしました