徳川家康の正室・築山殿が殺害され、長男・信康が二俣城で自害した理由

どの時代でも、どの国でも、正妻と長男は特に大切に、丁重に扱われるもの。

ところが、
① 徳川家康の正妻は蔑ろにされたうえに殺害される
② 徳川家康の長男は自害する
ことになりました。

徳川家康正室築山殿殺害され、長男信康二俣城で自害した理由を紹介します。

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徳川家康の正室・築山殿が殺害された理由

桶狭間の戦いで叔父・今川義元を討たれた築山殿。

築山殿は今川義元を討った織田信長を当然憎みました。
でも、自分の領地を守りたかった徳川家康は織田信長と清洲同盟を結びました。

清洲同盟をより強固なものにしようと、織田信長は徳川家康の長男・信康に長女・徳姫を嫁がせると約束。

この縁談を反対されると分かっていた徳川家康は、築山殿に全く相談しませんでした。
そのため、大事な息子が叔父を討った男の娘と結婚するなんて、築山殿は寝耳に水でした。

徳川家康は一年のほとんどを浜松城で過ごし、築山殿は信康・徳姫夫婦と共に岡崎城で暮らしました。

織田信長を頼りにしていた徳川家康の家臣は徳姫と親しくします。
その一方で、織田信長と敵対していた今川義元の姪・築山殿の存在を疎ましく思っていました。

また、徳川家康は浜松城内で側室と逢瀬を重ね、次々と子どもを授かり、夫婦仲は冷めるばかりでした。

徳姫は、
① 天正4年(1576年)に長女・登久姫
② 天正5年(1577年)に次女・熊姫
を出産。

徳川家康の側室、嫁・徳姫が子どもを次々と授かり、築山殿は嫉妬します。

一方で、信康が跡継ぎとなる男の子を授からないことに焦りを感じます。
そこで、元武田家臣・浅原昌時や日向時昌の娘を信康の側室に迎え、男の子が授かりやすいよう手配しました。

おゆう
おゆう

武田家に仕えたことのある者の娘を側室に迎えた築山殿。
築山殿のこの行動は、徳川家康、織田信長に対する復讐だったのかもしれません。

織田信長に可愛がられて育った徳姫はプライドが高く、築山殿に蔑ろにされたと感じます。
そこで、織田信長に「12箇条の訴状」を送って助け船を求めました。

12箇条の訴状には、
・築山殿が甲州の医師・減敬と密会している
・(減敬を通じて)武田信玄の息子・武田勝頼と内通している
・武田家と共に、徳川家と織田家を滅ぼそうとしている
など、根も葉もないことが書かれていました。

徳姫から訴状を受け取った織田信長は徳川家康に命じて築山殿を殺させます。

築山殿は遠江国富塚(静岡県浜松市)で殺され、39歳でこの世を去りました。

長男・信康が二俣城で自害した理由

永禄10年(1567年)5月に、織田信長の長女・徳姫と政略結婚した信康。

おゆう
おゆう

結婚した当時、信康と徳姫はなんと9歳。
二人が子どもを授かったのは、9年後のことでした。

信康は二人の女の子を授かりましたが、男の子をなかなか授かりません。
そこで、母・築山殿の意向で、浅原昌時や日向時昌の娘を側室に迎えることとなりました。

信康は徳姫と顔を合わせることがなくなり、夫婦仲は冷え切ってしまいました。

徳姫が織田信長に送った「12箇条の訴状」には、築山殿の罪の他、信康が横暴で妻を大事にしないことが書かれていました。

大事な娘を蔑ろにされた織田信長は怒り、信康の切腹を徳川家康に命じました。

おゆう
おゆう

徳川家康にとって信康は大事な跡取り。
織田信長に命じられたからといって、簡単に殺すことはできません。

でも、清洲同盟を結んでいても、二人は対等ではなく、徳川家康が織田信長に仕える形となっていました。

この時、徳川家康は武田家と戦っていたため、織田信長を敵に回したくありませんでした。

信康のために三河を投げ出すことができなかった徳川家康。
徳川家康は信康を岡崎城から三河国大浜城(愛知県碧南市)に移します。

そして、築山殿を殺した後、信康を二俣城に移して、切腹を命じました。

築山殿にショックを与えないよう、信康より先に築山殿を殺したといわれています。
徳川家康の最後の優しさだったのかもしれません。

天正7年(1579年)9月、信康は切腹して21歳の若さでこの世を去りました。

まとめ:築山殿と信康を殺したのは徳川家康!?

徳川家康正室築山殿殺害され、長男信康二俣城で自害した理由を紹介しました。

嫁であり、織田信長の長女でもある徳姫と折りが合わず、築山殿も信康も殺されることとなりました。

結婚当初から徳川家康と築山殿の夫婦仲は冷めていました。
とはいえ、織田信長に従って妻と長男を殺したのは、後味が悪かったのではないでしょうか。

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