武田家を裏切って織田信長に仕えた穴山信君(梅雪)のまさかの死因

代々武田家に仕える穴山氏に生まれた穴山信君。
でも、穴山信君は武田家を離れて、織田信長、徳川家康に仕える選択をしました。

穴山信君とは、どのような人物なのでしょうか。

武田家を裏切って織田信長に仕えた穴山信君梅雪)のまさかの死因を紹介します。

スポンサーリンク

武田家を裏切って織田信長に仕えた穴山信君(梅雪)

穴山信君(のぶただ)は天文10年(1541年)生まれで、武田家臣・穴山信友と武田信玄の姉・南松院殿の間に長男として誕生しました。

武田信玄に仕える

永禄元年(1558年)11月、穴山信友の隠居により、穴山信君は家督を継いで、穴山氏7代目当主となり、武田信玄に仕えました。

武田信玄は永禄11年(1568年)に駿河侵攻を開始。
武田信玄を恐れた今川家臣の中には、主君・今川氏真を裏切って、武田信玄に仕えようとする者がいました。

また、元亀3年(1572年)には遠江侵攻を開始。
徳川家臣の中にも、主君・徳川家康を裏切って、武田信玄に仕えようとする者がいました。

穴山信君は今川家、徳川家を離反する者との連絡係を務めました。

永禄12年(1569年)、今川氏真から武田信玄に寝返った葛山氏元と共に大宮城(静岡県富士宮市)を攻め、その後、武田四天王・山県昌景に代わって、江尻城(静岡市清水区)の城代となりました。

出家する

元亀4年(1573)年4月、武田信玄が亡くなり、後を継いだ武田勝頼に仕えることとなります。

天正3年(1575年)5月に勃発した長篠の戦いで、武田勝頼の従弟・武田信豊と共に出陣。

敗れた武田軍は1万もの兵を失いましたが、穴山信君が率いていた兵のほとんどは無事帰還を果たしました。

おゆう
おゆう

これは、穴山軍が強かったからではありません。

穴山信君は織田信長や徳川家康と戦うことに反対していて、攻撃を積極的に仕掛けなかったためです。

武田四天王・高坂昌信は攻撃を仕掛けなかった穴山信君を非難し、穴山信君に自害を言い渡すよう進言。
武田勝頼は穴山信君に自害を言い渡しませんでしたが、天正8年(1580年)、穴山信君は出家し、長男・勝千代に家督を譲りました。

この後、穴山信君は梅雪斎と号しました。

武田家を裏切る

天正9年(1581年)12月、武田家臣と折り合いの悪くなった穴山信君は織田信長に内通。
天正10年(1582年)、織田信長の長男・織田信忠が甲斐を侵攻すると、武田家を正式に離反し、甲府にいた織田家、徳川家の人質を逃がしました。

おゆう
おゆう

甲斐国が大混乱に陥ることとなった穴山梅雪の武田家離反は、武田勝頼が求心力を失った原因の一つといわれています。

まさかの死因

長篠の戦いで敗れた武田勝頼を見限り、徳川家康の誘いに乗って、織田信長に寝返った穴山信君。
織田信長から甲斐国河内領と駿河国江尻領の知行権を認められ、徳川家康に仕えることとなり、穴山信君は新たな人生を歩もうとしていました。

天正10年(1582年)5月、穴山信君は織田信長に御礼を言うべく、織田信長のいる近江国安土まで足を運びました。
織田信長に御礼を伝えた後、徳川家康と一緒に堺を散歩。

その翌日、穴山信君と徳川家康の耳に信じられないニュースが飛び込んできました。

お嬢ちゃん
お嬢ちゃん

穴山信君の新しい主君である織田信長が明智光秀に討たれた(本能寺の変が起きた)んです。

織田信長と清州同盟を結んでいた徳川家康も明智光秀から命を狙われ、穴山信君は徳川家康と一緒に畿内を出ることになりました。

畿内から徳川家康の拠点・岡崎城まで続く道が明智光秀によって封鎖されているという情報を入手した徳川家康は伊賀越えを決意。
山賊や一揆衆が徳川家康に次々と襲い掛かりましたが、徳川家康本人はもちろん、徳川家臣が討ったり、小判をばら撒いたりして、敵を追い払いました。

坊っちゃん
坊っちゃん

穴山信君はというと、徳川家臣と共に戦わず、少し離れたところで様子をうかがっていました。

穴山信君はまさか自分が襲われるなんて思ってもいなかったのかもしれません。
宇治田原で一揆衆に襲撃され、41歳で命を落としてしまいました。

穴山信君は明智家臣や落ち武者狩りに襲撃されて命を落としたという説もあります。

まとめ

武田家を裏切って織田信長に仕えた穴山信君梅雪)のまさかの死因を紹介しました。

長篠の戦いで戦功をあげず、武田家臣と折り合いの悪くなった穴山信君。
穴山信君が織田信長に寝返ったのはそれから7年後のことですが、穴山信君は長篠の戦いが勃発した時既に、武田家を裏切ることを覚悟していたのかもしれませんね。

大河ドラマ「どうする家康」をもっと楽しむなら、こちらのガイドブックがオススメです。


=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
ブログランキングに参加しているので、もし良ければクリックで応援をお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ

タイトルとURLをコピーしました