日本史

徳川家康はどんな入れ歯を、なぜ使っていた?

45歳を過ぎた頃から、部分的に使い始める方が多い入れ歯。実は、江戸幕府初代将軍・徳川家康も入れ歯を使っていました。徳川家康が使っていた入れ歯の種類、入れ歯を使っていた理由を紹介します。
日本史

武田信玄の忍者くノ一集団でもあった歩き巫女・望月千代女

武田信玄に仕えた望月千代女は女性忍者・くノ一として唯一名前を残しました。武田信玄の忍者くノ一集団とその一員だった歩き巫女・望月千代女を紹介します。
日本史

飯尾連龍とその妻・お田鶴の方は井伊直平を殺した?

桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、今川家を離反する家臣が続出。曳馬城主・飯尾連龍も、今川氏真から徳川家康に乗り換えようとしました。飯尾連龍の生涯、妻・お田鶴の方が井伊直平を殺した経緯を紹介します。
日本史

三河一向一揆で徳川家康を追い込んだ本證寺の住職・空誓上人

徳川家康の三大危機に数えられる三河一向一揆。徳川家康を追い込んだ三河一向一揆のリーダーは本證寺の住職でした。三河一向一揆で徳川家康を追い込んだ本證寺の住職・空誓上人の生涯を紹介します。
日本史

駿府城、長浜城を任された徳川家康の異母弟・内藤信成は謙虚?野心家?

徳川家康に仕えて数々の戦いで活躍し、駿府城主、そして、長浜城主となった内藤信成。実は、内藤信成は徳川家康の異母弟でした。内藤信成の生涯、謙虚ではなく野心家だったかもしれないエピソードを紹介します。
日本史

今川義元の首を取り返した鳴海城主・岡部元信は武田家臣として高天神城で討死

織田信長から桶狭間の戦いで討たれた今川義元の首を取り返したのは、今川家重臣・岡部元信でした。鳴海城の開城と引き換えに今川義元の首を取り返し、最期は武田家臣として高天神城で討死した岡部元信の生涯を紹介します。
日本史

徳川家康の次女・督姫を産んだ側室・西郡局と鵜殿氏の菩提寺・長応寺

徳川家康は正室・築山殿、継室・朝日姫の他に、20人もの女性を側室に迎えていました。その中で、最初に側室に迎えられたのが、次女・督姫を産んだ西郡局です。西郡局の生涯と再興した鵜殿氏の菩提寺・長応寺を紹介します。
戦国時代

徳川家康の五月人形の兜の特徴と意味、由来

端午の節句に飾る五月人形。病気や事故などの災いから男の子を守ってくれるといわれていますが、徳川家康をモチーフにした五月人形があります。徳川家康の五月人形の兜の特徴と意味、由来を紹介します。
日本史

今川家と武田家で人質になった徳川家康の弟・松平康俊(久松勝俊)の死因

徳川家康の母・於大の方とその再婚相手・久松長家(俊勝)の間に誕生した松平康俊は徳川家康の異父弟にあたりますが、徳川家康に振り回される人生を送りました。今川家と武田家で人質になった徳川家康の異父弟・松平康俊(久松勝俊)の生涯と死因を紹介します。