桶狭間の戦いで今川義元が討たれたのをきっかけに、今川家から独立した徳川家康。
この時、徳川家康の正妻・築山殿、長男・信康、長女・亀姫が今川家で人質となってしまいました。
徳川家康が今川氏真から人質・築山殿、信康、亀姫を取り戻すまでの経過を紹介します。
築山殿、信康、亀姫を今川家に残す
8歳から19歳までの12年間を今川家で過ごした徳川家康。
今川家で人質になっていなければ、徳川家康は生まれ育った岡崎城の城主になるはずでした。
徳川家康に代わって、岡崎城代を務めていたのは、今川家臣・山田景隆、三浦義保、糟谷備前ら。
ところが、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、今川家臣は岡崎城を捨てて逃亡しました。
主君を失った徳川家康は、今川氏から独立するべく岡崎城に帰り、城主として返り咲きました。
父を討たれた今川氏真は織田信長と戦う姿勢を見せなかったものの、離反した徳川家康を恨みます。
こうして、徳川家康は今川氏真と戦うこととなりましたが、一つだけ気がかりなことがありました。
今川家で人質生活を送っていた時、徳川家康は家臣の他、築山殿、信康、亀姫と一緒に暮らしていました。
徳川家康が今川家に戻らないと知るなり、今川氏真は徳川家臣を殺してしまいます。
今川義元の姪である築山殿は、今川氏真にとって従兄妹。
今川氏真の復讐を恐れた徳川家康は3人を取り戻したいと考えました。
鵜殿氏長、氏次兄弟を捕らえる
徳川家康の心境を察した家臣・石川数正は、
今川氏真の親戚を人質として捕らえ、人質交換を持ち掛けてはどうでしょうか
と提案。
人質とするターゲットには、
① 鵜殿長照
② 鵜殿長照の長男・鵜殿氏長
③ 鵜殿長照の次男・鵜殿氏次
が選ばれました。
鵜殿長照、氏長、氏次の3人をターゲットに選んだ理由は2つあります。
① 鵜殿長照と今川氏真は従兄弟だから
鵜殿長照の母は今川義元の妹で、今川氏真にとって叔母にあたります。
つまり、鵜殿長照と今川氏真は従兄弟で、近い親戚です。
② 鵜殿長照は数少ない家臣だから
今川義元が討たれ、今川氏真が家督を継ぐなり、今川家を離れる家臣が続出。
でも、鵜殿長照は今川家を離れず、引き続き主従関係を保っていました。
今川氏真にとって、鵜殿長照、鵜殿氏長、鵜殿氏次は絶対に失いたくない家臣だったんです。
この時、鵜殿氏長、氏次は12歳程度。
幼少期を人質として過ごした徳川家康は、まだまだ幼い2人を人質とすることにためらいがありました。
でも、今川家で人質となっているのは、築山殿、信康、亀姫の3人。
徳川家康も人質を3人用意しなければいけませんでした。
永禄5年(1562年)、徳川家康は家臣・松平清善に鵜殿長照が城主を務める上ノ郷城を攻めさせました。
松平清善は今川家臣でしたが、今川家から徳川家康に寝返りました。
徳川家康は上ノ郷城の攻略に成功しましたが、なんと、大切な鵜殿長照を戦死させてしまいます。
鵜殿氏長、氏次の2人を捕らえましたが、人質の数が一人足りません。
そこで、母・於大の方とその再婚相手・久松長家の間に誕生した義弟・松平康俊を人質に加えました。
人質交換をもちかけ、交渉が成立する
無事人質を3人用意できた徳川家康は、石川数正に交渉を任せました。
石川数正は鵜殿氏長、氏次、松平康俊を連れて駿府へ向かい、交渉を成立させました。
こうして、築山殿、信康、亀姫は岡崎城に帰ることができました。
家族3人を取り戻し、徳川家康は大喜び。
でも、
① 人質を確保する目的で上ノ郷城を攻略された
② 大きな戦力だった鵜殿長照を失った
③ まだまだ戦力とはいえない鵜殿氏長、氏次を利用して交渉成立に持ち込まれた
今川氏真としては全くつまらない話。
今川氏真のイライラの矛先は、築山殿の父・関口氏純(親永)に向けられました。
娘婿と戦うことになっても、関口氏純は今川家を離れるつもりはありませんでした。
でも、関口氏純を疑った今川氏真は切腹を命じ、関口氏純は駿府の屋敷で亡くなりました。
まとめ:徳川家康は人質交換で家族を取り戻した!
徳川家康が今川氏真から人質・築山殿、信康、亀姫を取り戻すまでの経過を紹介しました。
今川家から独立すると決めたものの、家族3人を今川家に残してしまった徳川家康。
家臣・石川数正の提案と交渉により、徳川家康は家族を取り戻し、堂々と独立を果たすことができました。
もし、家族が今川家に残っていたら、徳川家康は本領を発揮できず、天下統一を成し遂げられなかったかもしれません。
石川数正はとても素晴らしい働きをしたのではないでしょうか。
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