【唐】武韋の禍とは?則天武后が後世に与えた影響と評価

歴史の教科書に登場する重要用語・武韋の禍。
という漢字が含まれているので、なんとなく悪いイメージは湧くと思いますが、武韋の禍とは何でしょうか?

武韋の禍、則天武后が後世に与えた影響と評価を解説します。

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武韋の禍とは?

武は則天后、韋は第4代皇帝・中宗の妻・皇后を指します。
つまり、武韋の禍とは、則天武后と韋皇后によってもたらされた禍です。

則天武后による禍

690年、則天武后は第5代皇帝・睿宗を廃し、皇帝になり、周を建国しました。
則天武后が退位したのは705年。
そのため、唐が建国された618年から907年に滅亡するまでの290年間に、15年間の空白が生じました。

韋皇后による禍

則天武后が退位して、中宗が即位すると、次は韋皇后が皇帝を目指すようになりました。
韋皇后は則天武后の甥・武三思や従兄・韋温と一緒に権力を拡大。
自分が産んだ子どもではない皇太子・李重俊を排除したり、中宗を毒殺したりしました。

また、中宗の後継者として、殤帝を皇帝に据えておきながら、自らが政権を握りました。

おゆう
おゆう

武韋の禍と比較されるのが武周革命です。

武周革命とは、則天武后が皇帝になり、周を建国したことを指します。

つまり、武韋の禍の前半と武周革命は同じ内容なんです。
違うのは、皇帝になった則天武后の行為の評価の仕方。
禍としてマイナスに捉えるか、革命としてプラスに捉えるかが違うんですね。

おゆう
おゆう

武韋の禍には則天武后の他、韋皇后の行為が含まれています。
そのため、武韋の禍と武周革命を単純に比較するのは難しいですが、比較するなら、プラス、マイナスの評価の違いでいいと思います

則天武后が後世に与えた影響

皇后、皇帝在位中に行った則天武后の政務は、則天武后が崩御した後にも影響を与えました。

開元の治

第9代皇帝・玄宗が即位すると、唐は開元の治と呼ばれる政治が安定した時代を迎えます。

もちろん、玄宗の政治手腕も、開元の治を築くことができた要因の一つですが、開元の治を語るうえで欠かせないのが姚崇宋璟の2人です。

すけさん
すけさん

姚崇と宋璟は則天武后が登用した官吏で、開元の治の功労者と呼ばれています。

則天武后が登用しなければ、2人は埋もれていた人材で、開元の治は訪れなかったかもしれません。

粛宗の妻・張皇后

おゆう
おゆう

則天武后のように、女性でありながら皇帝の座を狙っていたのは韋皇后だけではありません。

則天武后の夫・高宗のひ孫に当たる第10代皇帝・粛宗の妻・張皇后も、粛宗が崩御したら皇帝になろうと画策しました。

粛宗の第1皇子の皇太子・李豫(後の代宗)、粛宗の側近・李輔国を殺して、気が合う第2皇子・李係を皇太子にしようとしました。

毛沢東の妻・江青

中国三大悪女といえば、呂雉、則天武后、西太后の3人ですが、この3人に一人加えた中国四大悪女という言葉があります。

中国四大悪女の一人は、毛沢東の妻・江青です。

毛沢東は1966年から1977年にかけて文化大革命を指揮しましたが、この間、毛沢東のもとで実権を握っていたのが江青でした。
江青は則天武后に憧れていて、フィリピンの第10代大統領・フェルナンドマルコス大統領の夫人と会見する際には、則天武后を意識した服装を着ました。

則天武后の評価

時代を超えて、大きな影響を与えた則天武后。
則天武后の評価は、古代と現代で大きく異なります。

古代

716年に、唐の第5代、第8代皇帝・睿宗が崩御すると、則天武后の政治に否定的な意見を述べる人が現れました。

おゆう
おゆう

則天武后が亡くなってすぐに、否定的な意見を述べる人が現れなかったのは、おそらく、則天武后を母にもつ睿宗と太平公主に遠慮したためだと思います。

現代

中国で女性が社会進出し始めたのは、1949年に入ってから。
男尊女卑が当たり前だった中国では、女性でありながら国のトップに立った則天武后を認めない風潮が長く続きました。

歴史の研究が進み、女性の社会進出が進むと、則天武后が打ち出した政策、その政策の結果が注目されました。

則天武后は武氏一族を重用したり、愛人に溺れて政務を投げ出したりしましたが、一族を特別扱いしたり、愛人に溺れたりしたのは則天武后だけではありません。
むしろ、則天武后は科挙制度を見直して実力主義の世の中を築き、国力を充実しました。
おゆう
おゆう

その証拠に、則天武后が国を治めている間は、民による反乱は起きていません。

子どもや姉を殺した則天武后の残忍性と共に、則天武后の功績も取り上げられるようになりました。

まとめ

武韋の禍、則天武后が後世に与えた影響と評価を解説しました。

武韋の禍とは則天武后と韋皇后によってもたらされた禍をいいますが、則天武后は開元の治や粛宗の妻・張皇后、毛沢東の妻・江青など、時代を超えて、後世に大きな影響を与えました。

則天武后の評価は時代によって異なりますが、則天武后の功績を事細かに知れば、評価は明らか。
則天武后が目指したように、家柄などではなく、実力が認められる時代が早く訪れるといいですね。

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